月 - 5月 31, 2010イングランドの敗因(2006.07)アーカイヴ#121。 2年前のユーロ2004準々決勝と同じく、PK戦でポルトガルに軍配という結末。前回はそれでも、1-1で延長に突入し、そこでも双方1点ずつ挙げて2-2でPK戦に突入するというスリリングな試合だったが、今回は最後まで試合が動かないままの「ゼロゼロPK」。見ている方にとってはストレスの溜まる試合になった。
イングランドとポルトガル、両チームがともに採用した1トップのシステムは、中盤の密度を高めてボールを支配したり、相手の攻撃を食い止めたりするのには有利だが、前線の「人口密度」が極めて低いので、2人目、3人目を送り込む戦術的工夫がないと、埒の明かない中盤での攻防に終始してしまう傾向がある。この試合はまさにその典型だった。 どちらのチームも、敵陣にボールを運ぶまでに時間がかかる上に、最前線でボールをキープしてタメを作る選手がいないので、なかなかシュートにつながる最終局面までたどり着かない。1トップを務めるルーニーもパウレータも、前半45分を通してボールに触った回数は数えるほどだった。 そして、後半に入って間もなく、試合の展開をさらに膠着させる方向に働く2つの不運がイングランドを襲う。51分、クロスやセットプレーで局面を打開できる数少ない存在だったベッカムが、足首を痛めて無念の交代。さらに後半17分にはルーニーが、R.カルヴァーリョともつれた際に玉蹴りを食らわせたかどで(故意だったかどうかは微妙)、一発レッドを喰らってしまう。この時点で、これは十中八九「ゼロゼロPK」になるだろうと思ったのは、筆者だけではないだろう。 イングランドの敗因を、このルーニーの退場に求める見方もあるかもしれない。しかし実際には、その前後でイングランドの戦い方が大きく変わったわけではない。ルーニーはほとんど試合から消えていたからだ。 ルーニーは前を向いてボールを持った時が一番怖いストライカー。1トップに求められる資質であるポストプレー、そして裏のスペースへの走り込みは、どちらかと言えば苦手科目である。事実、この2試合とも、1トップとしてはほとんど機能していなかった。 オーウェンを欠いたエリクソン監督が、最終的に[4-1-4-1]を選んだのは、クラウチを起用してルーニーと2トップを組ませるより、1トップにしてでもジェラードとランパードが攻め上がりやすいように中盤の底をプロテクトした方が、ゴールという点で歩留まりがいいはずだと判断したからだろう。 ところが、ルーニーと並ぶ、あるいはそれ以上の得点源として期待していたランパードが絶不調。大会を通じてイングランドで最も多くのシュートを打ちながら、一度もゴールネットを揺らすことができなかった。エリクソン監督にとって最も大きな誤算はむしろ、チェルシーで20ゴールを決めてワールドカップに乗り込んだ、この“影のエースストライカー”の不振だったのではないだろうか。■ (2006年7月1日/初出:『El Golazo』) Posted at 11:18 午後 火 - 5月 25, 2010「個の力」が試合を決める時が来た(2006.06)アーカイヴ#120。ちょっと気を抜いたら、やっぱりまた1週間経ってしまいました。 6月28日のブラジル、フランスを最後にベスト8が出揃った。
去年の12月に組み合わせが決まった時に試しにやってみた、ひねりのない素直な予想がそのまま実現してしまったような、順当きわまりない顔ぶれである。 唯一意外な躍進といえるのはウクライナだが、これはフランスがグループGで2位になって、R16でスペインと当たってしまったがゆえの副産物。この躓きがなければ、ウクライナではなくスペインが来ていたはずだ。 R16の8試合は、順当勝ち(ドイツ、ブラジル、イングランド)、苦戦勝ち(アルゼンチン)、乱戦勝ち(ポルトガル)、強運勝ち(イタリア)、経験勝ち(フランス)、PK勝ち(ウクライナ)と、内容的には様々だった。しかし、その勝ちっぷりはともかく結果的には、やはり勝つべきチームがしっかり勝ち上がってきているという印象である。 実際に、ある分析データを見てみると、勝ち上がった8チームのほとんどが、グループリーグの3試合を通して、攻撃力(シュート総数、枠内シュート数)、守備力(ボール奪取総数、ファウル1回あたりのボール奪取数)ともに、R16での対戦相手を上回っていたことがわかる。 接戦に見えたポルトガル対オランダ(結果的には乱戦になってしまったが)にしても、この4つの指標すべてにおいてポルトガルが上回っており、総合的なサッカーの質という点で、勝つべきチームが勝ち上がったということができる。 8試合の中で唯一、GLのデータが試合結果と適合しなかったのが、スペイン対フランスだった。スペインがシュート総数、枠内シュート数とも16チーム中(参加32チーム中でも)1位という圧倒的な攻撃力を発揮していたのに対し、フランスは枠内シュート数が16チーム中最下位という体たらく。ただし、守備力の方はほぼ互角だった(ともに16チーム中ベスト5に入る)。 しかし、これだけ実力が拮抗したチーム同士の戦いになると、こうしたデータに表れる差は、ほとんど意味を失ってしまう。結果を左右するのは、ほんの小さなミス、ひとつのこぼれ球を巡る運命の機微、そしてたったひとつのスーパープレーである。スペインの1点目はPK。フランスの同点ゴールは、スペインのオフサイドトラップの失敗。勝ち越しゴールはセットプレーだった。そうした小さな、しかし決定的な違いを作りだすのは、やはり個人だ。この試合ならヴィエイラ、リベリー、そしてジダン。 ここまでのところ、活躍を期待された大物のプレーがいまひとつぱっとしないこともあって、ビッグスター不在の大会という印象がある。しかし「個の力」が勝負を左右し、決定的な輝きを見せるのはむしろ、いや、まさにこれからだ。ワールドカップの真髄は、残り8試合にこそ、みっちりと詰まっている。■ (2006年6月28日/初出:『El Golazo』) Posted at 10:09 午後 火 - 5月 18, 2010難易度の高い勝ち方を追求するブラジル(2006.06)アーカイヴ#119。しかしちょっと気を抜くとすぐ1週間経っちゃいますね。 しかし、このブラジルは一体何なのか。
背番号が1から11まで綺麗に揃ったメンバーがここまで見せてくれたサッカーは、セレソンが潜在的に持っているポテンシャルを冒涜していると言っても過言ではないほどに、魅力に欠ける退屈で凡庸な内容でしかない。 「カルテット・マジコ」と呼ばれる4人衆、すなわちロナウド、アドリアーノ、ロナウジーニョ、カカを擁する攻撃陣は、これ以上何も望みようがないほどの超豪華版である。だが、彼らがピッチ上で、本来持っているとてつもない能力を存分に発揮しているかといえば、答えは間違いなくノーだ。それどころか、お互いの長所を相殺し合っている。 4人の中で最も割を食っているのは、ロナウジーニョだろう。やや開いた位置から1対1やワンツーで突破をはかり、創造性溢れるラストパスをFWに供給するのが最大の持ち味。だがこのセレソンの前線には、バルセロナにおけるエトーやジュリなどのように、前線で動いてスペースを作り、あるいはスペースに走り込んでくれる「対話」の相手がいない。 ロナウド、アドリアーノの2トップは、棒立ちのままおいしいラストパスが届くのをひたすら待ち続けるばかり。対話どころか、エリアの中に入って行こうとするロナウジーニョをはね返す壁の役割しか果たしていない。おかげで気の毒なガウショは、ペナルティエリアから遠く離れた地域でフェイントやヒールキックといった得意の小技を披露する以外、ほとんど出番がない状態である。 逆サイドを基点とするカカも、似たような境遇に置かれている。得意のスピードに乗ったドリブルでピッチを縦に切り裂いても、前線にスペースがまったく見出せずに減速を強いられる場面が少なくない。 チームの中で最も創造性に溢れる2人のタレントを犠牲にして、ブラジルは何を得ているのか、と考えてみるのだが、少なくとも戦術的な観点からは、何ひとつ得ていないという結論以外は出てこない。ベンチにも豊富なタレントを擁するセレソンを、チームとしてより有機的に機能させようとすれば、もっと有効なメンバーと布陣はいくつもあることは、日本戦が証明した通りだ。 にもかかわらず、パレイラ監督がこのメンバーにこだわる理由があるとすれば、「カルテット・マジコで優勝したという伝説を作りたい」という一点に尽きるのではないか。 ブラジルという国は、自分たちが「フットボール世界一」だということにひとかけらの疑いも抱いていないに違いない。だから、ワールドカップでも単に優勝するというだけではもう満足できず、より難易度の高い勝ち方を追求せずにはいられないのだろう。 でも、いくらスターをずらっと揃えても肝心のサッカーがこれじゃあ、本末転倒もいいところである。ここまでは格下ばかりが相手だったから良かったけれど、フランスのような強豪を相手にどんな戦いを見せるのか、楽しみに待つことにしよう。■ (2006年6月27日/初出:『El Golazo』) Posted at 09:14 午後 火 - 5月 11, 2010イングランド式カテナッチョ(2006.06)アーカイヴ#118。4年前のドイツワールドカップ期間中に書いた原稿の棚卸しその4は、決勝トーナメントに入ったR16で、エクアドルを渋く1-0で下したエリクソン監督のイングランドについて書いたもの。この次の準々決勝でポルトガルにPK負け(この2年前のユーロ2004でもそうでしたね)して、またも不完全燃焼に終わったことで、FAはイタリアンな監督のカテナッチョ路線(エリクソンがそうじゃないという人がいたらに話を聞きたいです)に一旦見切りをつけて、マクラーレンを後任に据えるというナショナリズム的な選択をするわけですが、その結末はご承知の通り。たった2年で今度はカペッロを呼んで、再び「イタリアン・ジョブ」頼みに回帰するのでした。 この試合(R16エクアドル戦)でイングランドが見せたサッカーは、「フットボール」というよりも「カルチョ」という言葉の方がずっとふさわしいものだった。 システムは1トップの4-5-1。最終ラインは低い位置に根を張ってほとんど押し上げず、サイドバックの攻撃参加は皆無。ボールを追い越してフリーで前線に走り込む選手もいない。1トップのルーニーは、相手CBとの駆け引きに献身的に身を投じて、もしかすると偶然巡ってくるかもしれないチャンスボールをひたすら待ち続ける。 ターゲットになるポストプレーヤーがいないので、イングランド伝統のロングボールは使えない。また、両SBが攻め上がらない上に、中盤両サイドも、右が15m以上のダッシュにここ3年ほど縁がないベッカム、左が内に切れ込む癖を持ったJ.コールなので、クロスもほとんど上がらず。そうなると、後方からパスをつないで組み立てるしかないわけだが、中盤にタテの動きがないので、ボールはヨコにしか動かず攻撃がスローダウン、すぐに局面が行き詰まってしまう。90分戦って、相手守備陣を崩しての決定機らしい決定機は実質ゼロだった。 こう書き並べると悪いことばかりのように見えるが、そんなことはありません。ボールより後ろに常に7~8人を置いているので、不用意にカウンターを喫する恐れはほとんどない。最終ラインは非常によく組織されており、低めに布陣しているので裏を突かれる心配もない。テリー、ファーディナンドのCBペアは空中戦もほぼ無敵だ。このチームからゴールを奪うのは、どんなチームにとってもまったく簡単なことではない。これが大きな強みでなくて何だろう。 このイングランドの戦い方を貫く思想があるとすれば、それは「まず失点しないこと」である。これは英国フットボールの辞書にはない考え方だ。じゃあどこの国のものかといえば、イタリアが世界に誇る「カテナッチョ」の基本思想そのものではないか。1-0でリードした後、さっさとJ.コールを下げてDFキャラハーを入れた采配などはまさに典型である。 率直に言って、イングランドの攻撃は見るに耐えない。しかし、ゴールを奪う手段は他にもある。ベッカムのFKやCK、ジェラードやランパードが偶然のこぼれ球を叩くミドルシュート。忘れてはいけないのは、現代サッカーでは、セットプレーとミドルシュートからの得点が全体の半数以上を占めているという事実である。 イングランドのサッカーはつまらない。でもこのチームは間違いなく強い。かなり、いや、すごく強い。 美しいサッカーよりも結果。大事なのはそっちの方だ。イタリア人はいつもそう言う。イングランドの人々もきっと同意してくれると思う。■ (2006年6月25日/初出:『El Golazo』) Posted at 12:41 午後 金 - 5月 7, 2010アフリカ勢が躍進できない理由(2006.06)アーカイヴ#117。4年前のドイツワールドカップ期間中に書いた原稿の棚卸しその3は、タイトル通り、どうしてアフリカ勢はワールドカップで躍進できないのか、という話です。 グループリーグが終了して出揃ったベスト16の顔ぶれは、ヨーロッパ10、南米3、中米、アフリカ、オセアニア各1。過去20年間(6大会)の結果を見ると、アジアから開催国2つが入った前回の日韓大会を除き、ヨーロッパ10、南米2~4、その他2~4という構図は常に同じ。変わる変わると言われて久しい世界のサッカー勢力地図だが、実際には大きな変化は何ひとつ起こっていないことがわかる。 ペレだったかが「2010年までにはワールドカップでアフリカ勢が優勝するだろう」と語ったのは、もう10年以上前のことだ。しかしアフリカ勢は、86年にモロッコが初めてベスト16進出を果たして以来今大会まで、勝ち残るのは毎回1ヶ国で、一度の例外もない。 サッカーの選手やチームを分析する時のフレームワークに、フィジカル(身体/運動能力)、テクニカル(技術)、タクティカル(戦術)、メンタル(精神)という4つの側面から切って行くやり方がある。それをあてはめていえば、アフリカ勢の「将来性」が高く評価されたのは、何よりもまずそのフィジカルな資質の高さが理由だった。今大会でも、アフリカの選手たちのスピードや跳躍力、柔軟性、バランス感覚といった身体能力は、目を見張らせるものがあった。 テクニカルな側面でも、アフリカ勢のレベルは高い。タクティカルな側面についても、ほとんどの選手はヨーロッパのクラブでプレーしているし、監督も多くの場合ヨーロッパ人だけに、少なくともチーム戦術の面では、もはや顕著な差はないように見える。 ヨーロッパや南米と最も大きな差があるように見えるのは、最後のメンタル面だろう。アフリカのチームを見ていていつも気付くのが、強引でエゴイスティックなプレーやつまらないポカミスの多さ、そしてチームとしてのバラバラ感である。勢いに乗ると強いが、試合をコントロールしてバランスを取ることが苦手。90分を通して集中力を維持できるか、困難な状況で落胆することなく忍耐力を保てるか、試合の流れや局面の重要性を集団として“感じ”、ひとつの共通理解の下で対処できるかといった、状況判断や駆け引き、ゲームマネジメントが未熟なのだ。 サッカーをめぐる年季の違い、といえばいいだろうか。トレーニングや学習で解決する問題というよりも、サッカーというゲームをどう咀嚼しどうプレーするか、哲学とか文化とか、そういうもっと大きなバックグラウンドにかかわる問題のような気がする。アフリカ勢だけでなくアジア勢にも、別の意味で同じ議論が当てはまるかもしれない。もう少し掘り下げて考えてみたいテーマである。■ (2006年6月25日/初出:『El Golazo』) Posted at 03:56 午後 木 - 5月 6, 2010枠内シュート6本以上が勝利の条件(2006.06)アーカイヴ#116。4年前のドイツワールドカップ期間中に書いた原稿の棚卸しその2は、グループリーグ2巡目の終わりに書いた短いスタッツ(統計)もの。スタッツのデータを掘り下げる作業は、footballista紙上で河治良幸さんが、CLを巡って連載されているものが、これよりもずっと深くて興味深いです。 グループリーグの2巡目が終わったところで、大会のオフィシャルサイトで公開されている簡単なスタッツ(試合の統計データ)を、ちょっと弄んでみた。ボールポゼッションとシュート数について、試合結果との相関性を調べてみたのだが、これがなかなか興味深い。
まず、ボールポゼッションについて見てみよう。2巡目までの全32試合の中で、両チームのポゼッションに明らかな差(5%以上)がついたのは17試合、僅差(4%以内)に収まったのは15試合。割合でいうと53:47だから、ほぼ半々ということになる。 ポゼッションに差がついた17試合の結果を見ると、上回ったチームが勝ったケースが12(70%)、引き分けが3(18%)、負けが2(12%)。ポゼッションではっきり上回れば、7割の確率で勝てるということになる。 だが、それが勝利の絶対条件かといえば、決してそんなことはない。32試合から引き分け7試合を除いた25試合について見ると、ポゼッションで明らかに上回ったチームが勝ったのは、半分強の14試合(56%)にとどまるからだ。相手とポゼッションが互角だったチームが勝ったのが8試合(32%)、下回ったチームが勝ったのも3試合(12%)ある。 シュート数に関しても、相手のそれをはっきり上回った(+3本以上)チームの勝率は72%(引き分け20%、負け8%)と、比率的にはポゼッションとほぼ同じだ。下回ったチームが勝ったのは2試合にとどまる(いずれもコートジヴォワール)。 これらと比較しても、勝敗との関連性が文句なしに明らかなのは、枠内シュートの絶対数である。これが3本以下のチームが勝った例はひとつもなく、4~5本だと勝ち、引き分け、負けの比率が25:31:44となる。ところが6本以上になると、この比率は84:8:8と大幅に跳ね上がるのだ。「枠内シュートが3本以下だと勝率ゼロ」「勝つためにはシュートを枠の中に6本以上収めることが必要」というのは、かなり信憑性の高いテーゼといえるだろう。 ちなみに、オーストラリア戦の日本は、ポゼッションが48%とほぼ互角ながら、シュート数では6対20、枠内シュート数も2対12と大差をつけられた。クロアチア戦では、56%のポゼションにもかかわらず、シュート数は12対16、枠内シュート数は5対6といずれも劣っていた。ポゼッションで大きく上回ったチームがシュート数で下回った試合は、ここまでこれが唯一である。 いくらボールを大事にしても、シュートを枠に打たなければ勝てない。データからもそれは明らかだ。ね、ジーコさん。■ (2006年6月20日/初出:『El Golazo』) Posted at 04:25 午後 日 - 5月 2, 2010ワールドカップの味わい方(2006.06)アーカイヴ#115。ワールドカップが近づいてきたので、復習じゃありませんが、4年前のドイツ大会で『エル・ゴラッソ』紙に寄せた原稿の中から、イタリア代表関連(これはもう全部アップしてあります)を除く、大会全般について書いたコラムを再録していきたいと思います。1本目は、21世紀におけるワールドカップの位置づけとその味わい方について。 ワールドカップが、その時点における最先端のサッカーが表現される舞台だったのは、もうだいぶ昔の話だ。
今や、欧州や南米の代表チームが招集されるのは、年に数回、延べにしても40日がいいところ。普段は異なる国の異なるクラブでプレーしている選手たちを、ひとつのチームにまとめ上げ、組織的な戦術を浸透させるためには、まったく不十分な時間でしかない。 いま、世界で最先端のサッカーが表現される舞台は、世界中のトッププレーヤーが集まってしのぎを削る欧州クラブサッカーシーンだと言い切って、異論のある方はそう多くはないはずだ。 それでは、今やワールドカップの存在意義は薄れてしまったというのだろうか。 開幕から2日間の5試合を見て確信したのは、いや、まったくそんなことはない、ワールドカップはワールドカップの意義と価値をこれからも持ち続けて行くに違いない、ということだった。 確かに、ピッチ上で表現されるサッカーの技術・戦術レベルに話を限れば、代表マッチはクラブサッカーにはかなわない。そのかわり、ワールドカップの舞台で戦う各国代表チームのサッカーには、それぞれの国が固有の社会と文化の中でこのゲームをどのように理解・解釈し、発展させてきたか、そのありようが直接、間接に反映されている。 逆説的なことに、組織的な戦術を浸透させる時間がなくなった近年は、各国のサッカーが持っている“土着的な”側面が、むしろ強調されてきているようにすら見えるほどだ。ヴァナキュラー・フットボールである。 ウイングを置かず、ロングボールも使わず、ひたすらパスをつないで攻撃を組み立て、最後は「10番」が必殺のスルーパスで仕留める、まるで古典芸能のようなサッカーを見せる南米の雄アルゼンチン。3ラインをコンパクトに保つモダンな4-4-2を志向しながら、組織的な動きがぎこちなく、やっぱり腕力勝負の直線的なサッカーになってしまうゲルマンなドイツ。攻守とものんびりしていてミスが多いけれど、突然鋭いひと仕事を見せる気分屋の中米コスタリカ。フィジカルもテクニックも抜群で戦術的にも洗練されているが、集中力が持続せず諦めも早いコートジヴォワール。 国家の代表チームが世界の覇権を賭けて戦う舞台であるワールドカップのピッチには、クラブサッカーから今や消えつつある文化的な象徴性が、ますます濃厚に表現されている。この4年に一度の祭典は、勝ち負けやプレーの機微や戦術だけでなく、そうした側面を読み取り味わう楽しみも与えてくれる。■ (2006年6月10日/初出:『El Golazo』) Posted at 08:20 午後 宣伝:『アンチェロッティの戦術ノート』発売!
はじめに
カルロ・アンチェロッティ
私が日本の海外サッカー専門誌『ワールドサッカーダイジェスト』に寄稿を始めたのは、ユヴェントスの監督を退いた後、充電のための時間を過ごしていた2001年秋のことだ。イタリア在住の日本人ジャーナリスト・片野道郎と、その時々に設定したテーマについて対話し、その内容を彼が日本語の原稿にまとめるという形でのコラボレーションは、それ以来現在まで定期的に続いている。この本は、足かけ8年間にわたるその成果を1冊にまとめたものだ。したがって、この日本語版がオリジナルであり、現時点では唯一のバージョンということになる。 コラボレーションを始めてからこの本ができるまでの間、私はミランの監督として8シーズンを過ごしていくつかの重要なタイトルを勝ち取り、2009年の夏からはイングランドのチェルシーに仕事の舞台を移して現在に至っている。 その間に取り上げた話題は、私のサッカー観とそれに基づく戦術理論、具体的な試合を舞台にしたケーススタディ、さらには日々積み重ねている仕事の実際まで、監督という仕事のあらゆる側面に及ぶ。 それらを改めてテーマ別に整理したこの本を読んでいただければ、カルロ・アンチェロッティという監督の目にはピッチ上のゲームやそこで動く選手たちがどのように見えているのか、毎週の試合を準備する中で何を考え、どんな問題に直面しているのか、そして監督としてどんなキャリアを歩み、どんな試合を戦い、いかなる喜びと落胆を経験してきたのかという、その全体像が掴んでいただけるはずだ。戦術がその重要な側面であることに疑いはないが、決して全てではないこともおわかりいただけると思う。 読者のみなさんは不思議に思われるかもしれないが、このような本をイタリアで実現することはできなかった。「国民の数と同じだけの代表監督がいる」と言われるほど、サッカーはイタリア人の生活に浸透している。しかしイタリアの人々が興味を持っているのは、何よりも毎週の試合の結果であり、それをめぐるあらゆる種類のドラマと人間模様だ。ここで主題となっている戦術や采配、チームマネジメントといったテーマを監督自らが取り上げた本は、イタリアにはまったく見当たらない。 これら、私の仕事の中心を占める、つまり私自身が最も興味を持っているテーマをじっくりと掘り下げる機会を得たこと、そしてそれを本という形にして日本のサッカーファンの皆さんに読んでいただけることを、非常に嬉しく思っている。その機会を与えてくれた河出書房新社、『ワールドサッカーダイジェスト』、そしてパートナーの片野道郎に、この場を借りて感謝したい。 サッカーを愛するすべての人々にとって、本書が、サッカーというゲームとその戦術、そして監督という仕事を、これまでとは違う角度から眺め、より深く楽しむきっかけになってくれれば、それほど嬉しいことはない。 なお、本書の印税の一部は、ミランとイタリア代表で私のチームメイトだったステーファノ・ボルゴノーヴォが設立した「ステーファノ・ボルゴノーヴォ財団」に寄付される。この財団は、ステーファノ自身が冒されている筋萎縮性側索硬化症(別名ルー・ゲーリッグ病)の研究を援助する基金を集めるために設立された。彼だけでなく何人もの元サッカー選手を襲っているこの難病は、原因・治療法ともまだ明らかになっていない。その究明を少しでも速く進めるために力を貸すことができればと考えている。□ Posted at 12:44 午前 木 - 11月 26, 2009ドナドーニのイタリア、ポルトガルを一蹴(2008.02)アーカイヴ#114。ドナドーニのイタリア代表シリーズに戻って、その5は2008年2月に行われたポルトガルとの親善試合のレポート。ちゃんとチューリッヒまで行って生で取材してきました。この時点では本当に強いように見えたんですが……。 イタリア強し。この試合の印象はそれに尽きる。ニュートラルとは言えない立場にあるぼくがそう書いても贔屓の引き倒しに見えるだけかもしれないので、記者席で隣にいたポルトガルの専門誌『フットボリスタfutebolista』(本誌とは綴り違いですね)の編集長もまったく同じことを言っていた、という客観的事実を付け加えておこう。
ドナドーニ監督がピッチに送った布陣は[4-1-4-1]。中盤の底により守備力があるデ・ロッシを置き、ピルロを右インサイドハーフに配したのが特徴であり、後で見る通り戦術的にも大きなポイントだ。前線はトーニの1トップ。攻撃陣に関しては「1トップ+2サイドアタッカー」という構成で行く方針がもはや固まったと見て良さそうである。 試合はフレンドリーマッチらしくプレッシャーも当たりもきつくない、したがって比較的ボールが持てる展開になった。おかげで、両チームの攻撃パターンをじっくりと比較することができた。 ポルトガルの布陣は、もはや定番の[4-2-3-1]。安定したポゼッションから、デコを経由して両ウイングに開き、そこからC.ロナウドとクアレスマが1対1の勝負を仕掛けるというおなじみの攻め方は、しかしイタリアの手堅い守りの前に、なかなかシュートにつながる状況を作れない。 一方のイタリアは、前線のトーニにクサビの縦パスを入れ、その落としからのコンビネーションで攻撃を加速するという展開。ポルトガルの中盤守備がユルいこともあるが、1タッチパスが4-5本きれいにつながってゴール前に迫るという、イタリアらしからぬ華麗な場面を再三作り出し、徐々に主導権を握って行った。 その中心にいるのは常にピルロである。デ・ロッシが背後をカバーしているため、躊躇なく敵陣に攻め上がって、絶妙のタイミングでボールを動かし攻撃をオーガナイズ。「10番」的な風格すら漂わせるプレーぶりだった。 ポルトガルとの最大の違いは、仕掛けの局面に必ず3人以上のプレーヤーが絡んでいること。向こうが個人の突破力に依存した「インディビジュアル」な攻撃だとすれば、こちらはオフ・ザ・ボールの動きと組織的なシンクロニズムを活かした「コレクティブ」な攻撃である。 この試合のイタリアは、守備の戦術的秩序と結果への執念という本来の強みを損なうことなく、そこに積極的かつ組織的な攻撃という新たな要素を積み上げたという印象を与えた。実際、攻撃の局面でこれほどコレクティブなまとまりを感じさせたアズーリは記憶にない。これは明らかにドナドーニ監督の功績である。 「内容、結果とも非常に満足している。守備も良かったし、素早くボールを動かしてスピードのある攻撃もできた。チームがサッカーを楽しんでプレーしていたことも、監督としては大きな喜びだった。アンブロジーニに『そんなに走らなくていいから少し休めよ』と言ったら『何言ってるんですか。楽しくてしょうがないのに』という返事が返ってきた。こういうスピリットがチームにあることは大きな強みになると思う」 試合後の会見で明かしたアンブロジーニとの上のようなやり取りは、アズーリの現状を象徴するエピソードと言える。戦術的秩序とハードワークを最大の長所としてきたアズーリが、その上さらにプレーする楽しみまでも見出しつつあるとすれば……。 次の国際Aマッチデーは3月26日。本番前最後となるテストのお相手はスペインである。楽しみですね木村さん。■ 国際親善試合:イタリア3-1ポルトガル 2008年2月6日(水)20:45、チューリッヒ(レツィグラード・シュタディオン) 観客3万500人 得点:45+1' トーニ(I)、50' カンナヴァーロ(I)、78' クアレスマ(P)、79' クアリアレッラ(I) 警告:なし ○イタリア(4-1-4-1) GK:アメリア DF:オッド(80' カッセッティ)、カンナヴァーロ、バルザーリ(53' ガンベリーニ)、ザンブロッタ(29' グロッソ) DMF:デ・ロッシ(53' ペロッタ) MF:パッラディーノ(77' クアリアレッラ)、ピルロ、アンブロジーニ、ディ・ナターレ FW:トーニ(71' ボリエッロ) ○ポルトガル(4-2-3-1) GK:リカルド DF:ボシングワ(69' ジョセ・リベイロ)、リカルド・カルヴァーリョ、ブルーノ・アルヴェス、カネイラ(46' パウロ・フェレイラ) MF:ペティート(46' フェルナンド・メイラ)、マニシェ OMF:クリスティアーノ・ロナウド、デコ(46' ナニ)、クアレスマ FW:マククラ(56' ウーゴ・アルメイダ) (2008年2月7日/初出:『footballista』) Posted at 06:39 午後 木 - 11月 12, 2009レオナルド、横浜でミランと自らの現在を語る(2007.12)アーカイヴ#113。ドナドーニのイタリア代表シリーズは引き続き後回しにして、今回は2年前の2007年12月、ミランがCWCのために来日した時に横浜で取ったレオナルドのインタビューをアップします。 ――2002年の秋にミランに戻ってきて、一時的に現役に復帰したりしてから、もう5年が経ちました。引退してからの5年間、どんな風に過ごして来たのでしょう? 「充実した5年間だったよ。プレーをやめるっていうのは、決して簡単なことじゃない。子供の頃からずっとピッチの上で過ごしてきたわけだからね。明確な目標を与えられて、それに向かって毎日努力を積み重ねるという生き方をしてきた。毎日の練習、週末の試合、絶え間ない移動、いくつものタイトル……。目指すべきものは常にクリアだった。でもピッチから離れてクラブのスタッフとして仕事をするというのは、まったく違う種類の経験なんだ。すぐに結果が出るわけじゃない。周囲の人たちとの関係の持ち方も違う。状況によって違った役割、違った立場を担わなきゃならない。僕が幸運だったのは、しっかりした組織の中で、しかも自分が良く知っている環境の中でスタートできたことだよ。僕はこの5年間で間違いなく多くのことを学んだと思う。サッカークラブのマネジメント、しかも世界で最も重要なクラブのそれに関わる実務だけじゃなく、人間的にもね」 ――で、具体的にはどんな仕事をしてるんですか? 「それはいい質問だよ。実は僕もこの5年間、それを知るために働いているんだ(笑)。いや、僕の仕事で一番素晴らしいのは、まさにその点だと思ってる。僕にとっては仕事ですらないんだけどね。僕の立場というのは、信頼関係に支えられている部分がすごく大きいんだ。チームマネジメントから、移籍マーケット、マーケティング、渉外、ミラン財団まで、いろいろなプロジェクトに首を突っ込んでは、いろいろな意見を言ったり助言をしたり。言ってみればジョーカーみたいなものかな」 ――役職は? 「一応の肩書きは、ディレットーレ・ディ・アレア・テクニカ(テクニカル部門ディレクター)っていうことになってる」 ――じゃあガッリアーニとブライダのパートナーだと考えればいいんでしょうか? 「むしろガッリアーニの直接のアシスタントだと言った方がいいだろうね。その立場から色々な分野に顔を突っ込んでいる感じ。こう説明してもなんかよく解らない立場だけど」 ――より戦略的な立場と言っていいですか? 「まあそういうことになるかな」 ――じゃあ本拠地はミラネッロよりもトゥラーティ通り(ミランのヘッドオフィス)になる? 「そうだね。でも、トゥラーティ通りにいるとは言っても、物の見方はミラネッロ目線だよ。僕は元々は向こう側の人間だからね。わかるかな。物の考え方もボキャブラリーも人との関係の持ち方も、結局フットボーラーのそれなんだよ。でもこのミックスされた感じは、悪くないと思ってる。今の立場は気に入ってるよ」 ――去年一度、ミランを離れた時期がありましたよね? 「うん。ブラジルに帰るつもりだったんだ。でもやりかけの仕事があって、それを手放すわけにはいかなかったら、とりあえずそれだけ残して、スカイ・イタリアとBBCの解説者として、ミラノとロンドンを行ったり来たりして過ごしたんだ。でも、ロナウドの移籍をはじめ、マーケティングの面でもミランにとって大きなマーケットになってきたブラジルとのプロジェクトとか、いろいろなことが続いて、結局ミランを離れることは出来そうになかった。それで今年はちゃんとした形でミランに残ることに決めたんだ」 ――組織の中で、自分の担当分野も持たず、したがって意思決定権もないというのは、立場としてはかなり中途半端なようにも見えるんですが。 「でもミランにおいてはそれが正しいような気がするんだ。今ミランで意思決定権を持っているのはガッリアーニだけど、その回りにいる僕たちはいってみればひとつのファミリーみたいなものだしね。その中で僕は自分の経験やヴィジョンを通してクラブに貢献しようとしている。まあ確かに、何の意思決定権も持っていないというのは、あるときはプラスだけどマイナスに働くこともあるよね。でも、そうだな、僕が本当の意味でディレクターになるのは、ミランを出た時だろうね。ここ以外に、今のような形で参画できるクラブ、今持っているような関係を持てるクラブはどこにも存在しないからね。もしディレクターという仕事を自分の本職にしようと思ったら、僕はミランから出て行かなければならない。遅かれ早かれ起こることだと思うけど」 ――じゃあずっとミランにいるつもりはない? 「そうだね」 ――今は、第二のキャリアにおける幼年期というか、見習いの時期という位置づけになるんでしょうか? 「うん。そうとも言えるね。本当にたくさんのことを学んでいるから。でも学んでいるというのは、表現としてはちょっとあれかもしれない。ミランの中には、見習いというよりももっと親密な、友情と言った方がいいような人間関係があるから。僕の存在は、チームの結果とはまったくリンクしていない。ミランが勝っても負けても、僕はここにいる。僕はそこにいる人と結びついているからね。普通ならば僕のような仕事はチームの結果に評価が左右されるものだよね。それは当然のことだし。でもミランにおける僕の立場はまったくそうじゃないんだよ。うまく言えないけど、僕はここにいるんだ」 ――この先、フラメンゴかサンパウロか、ブラジルのクラブの会長になるのも遠い話じゃないのかもしれませんね。 「うん。夢はフラメンゴだね。僕はフラメンゴで育ったし、僕の体にはフラメンゴの血が流れてるから。もう16年も外国で生活しているけれど、いつかはフラメンゴに戻りたい。今がその時だとは思わないけれど、僕の家はブラジルだし、僕の夢はフラメンゴの会長になることだよ。それは否定できない」 ――ブラジルといえば、カカとパトの獲得に当たって、レオはすごく重要な役割を果たしたわけですよね。 「そう言われてるね(笑)」 ――この2つの移籍にはどういう経緯があったんでしょう? 「それぞれ全く異なる移籍交渉だったね。カカを獲った5年前、20歳そこそこのブラジル人選手が、ビッグクラブに直接引き抜かれるというのは、ほとんど例がないことだった。カカのミラン入りは、その先駆けだったんだ。あの移籍がその後の大型移籍の門戸を開くことになった。カカはフットボーラーとしてはまだ揺籃期にあった。サンパウロでデビューして、ワールドカップも経験してはいたけれど、評価はまったく定まっていなかった。僕がカカと知りあったのは、プレーヤーとしてのキャリアを閉じるためにミランからブラジルに戻って、サンパウロで6ヶ月間だけチームメイトになった時だった。僕は彼より13歳も年上だったけど、ロッカーが隣同士でね。その後僕はひょんなことからミランに戻ってきて、彼の移籍交渉にかかわることになったんだ。そうしてミランにやって来たカカは、あっというまにブレイクして、今では世界最高のフットボーラーになった」 ――パトはどうでしたか? 「パトのケースはまた全然違うな。彼はミランに来る前からすでにスターだった。ロビーニョをはじめとして、若いうちからすごく高い移籍金でヨーロッパに来る選手が増えていたし、ブラジルの10代のタレントに対するスカウトの注目度も、カカの時代と比べるとずっと高くなっていた。18歳のパトも、すでに偉大なプレーヤーとしてミランに移籍してきたくらいだから。カカは将来のための投資だったけれど、パトはほとんど即戦力扱いだからね」 ――パトをめぐる競争は激しかったでしょうね。 「そうだね。ミランが興味を持ってるっていう情報が流れるだけで、注目度も値段も一気に跳ね上がるんだ。そういう情報を隠しておくことはすごく難しいからね。でもパトはミランに来たいという強い気持ちを持ってた。カカの前例もあるし、ミランにはブラジル人が8人もいる。誰が見ても理想的な環境だよね」 ――ミランが数あるブラジル人タレントの中からカカとパトを選んだというのは、すごく象徴的な事実のような気がするんです。2人ともブラジル人のテクニックを持っていながらプレーがすごくシンプルで、性格的にもくそ真面目と言えるほどの優等生だし、すごくクレバーで落ち着いている。ミランはテクニカルな側面だけでなく、パーソナリティやディシプリンといった人間的な側面をすごく重視しているように見えるのですが。 「うん。すごく重視してるね。クラブと選手との関係、そして選手のパフォーマンスをより長続きさせる上で、そういう側面はすごく重要だと思う。そうじゃないと、関係もパフォーマンスも長続きしないものなんだ」 ――今のチャンピオンズリーグを見ていると、アーセナル、マンU、レアル・マドリーといったクラブは、平均年齢がすごく下がってきています。25歳前後、アーセナルなんかは24歳を切ることすらある。一方、ミランとインテルはほとんど30歳の大台です。この状況についてはどう思いますか? 「重要なのは、ミランは平均年齢30歳のチームで大きな結果を残しているということだよね。つい半年前にチャンピオンズリーグに優勝したばかりだし、過去5年間で3回も決勝を戦っている。スクデットもスーパーカップも勝った。つまりたくさんのタイトルを勝ち取ったんだ。オーバー30の選手が何人かいることは事実だけど、まだトップレベルのパフォーマンスを見せ続けている。もちろん今後、その時期が来れば世代交代が進むだろうけれど、今はまだその時期じゃない。マンUやマドリーは、残念ながら結果がついてこなかったことで、世代交代を一気に進めざるを得なくなったところも大きいと思う。ミランは結果を残してきたから、少しずつ若返りを図って行く余裕があるというわけ」 ――でもその若返りは始まってすらいないようにも見えるのですが。 「結果を出し続けているからね」 ――でも今シーズンは……。 「苦しんでる。でも去年だって同じだったよね。リーグ戦では低迷したけれど、最終的には4位に入ったし、チャンピオンズリーグでは優勝した。今もここ日本でクラブワールドカップの決勝を戦おうとしている。結果を出しているグループに手を入れる理由はないよね。時期が来れば世代交代は自然に続くと思うよ。理由はもうひとつある。それは、ミランは選手やスタッフのロイヤリティを重視するクラブだということ。今のミランには、5年以上このクラブでプレーしている選手が11人もいる。これはすごく大切なことだよ」 ――3年後、5年後のミランはどうなっているんでしょう? 「徐々に変わって行くだろうね。ミランは長い歴史の中で、困難な時代も経験している。常に勝ち続けることはできないかもしれない。でも小さな波はあっても強いミランであり続けると信じているよ」 ――レオがプレーしていた時期のミランは、ある種の端境期でしたよね。 「すごく困難な時代だった。ひとつの黄金時代が終わって、アンチェロッティの時代が始まるまでの狭間の時期だったからね」 ――このままだとああいう時代がまたやってくるような予感が……。 「いやいやそんなことはないよ。やってこないやってこない。大丈夫だって」 ――そう祈りましょう。ひとつのクラブとチームが、安定して結果を出し続けるためには、何が重要だと思いますか? 「少しずつ、着実に変化して行くことだね。今はマルディーニやカフーの時代から、ピルロ、ガットゥーゾ、アンブロジーニの時代になろうとしている。その後にはカカ、ジラルディーノ、グルキュフ、パトの時代が続くだろう。そうやってミランの伝統は受け継がれて行くと思う。僕もそれに少しでも貢献できればいいと思っているよ」 ――フラメンゴに帰るまではね。 「ははは。それはまだ先の話だよ」■ (2007年12月20日/初出:『footballista』) Posted at 12:48 午前 月 - 11月 9, 2009バッサーノ・デル・グラッパ訪問記(2008.12)アーカイヴ#112。ドナドーニのイタリア代表シリーズはちょっと飽きてきたので、ここで一度息抜きを。珍しくサッカーメディア以外のところに寄稿した、北イタリア・ヴェネト州の小都市バッサーノ・デル・グラッパについての読み物です。掲載されたのは全日空の機内誌『翼の王国』。といっても、やっぱりサッカーネタが絡んでいたりはするわけですが。 1.
バッサーノ・ヴィルトゥス
イタリアは、ワールドカップで4回の優勝を誇るサッカー大国だ。これは、ブラジルの5回に次いで世界2位、ヨーロッパでは最多の記録である。昨年12月に日本で行われた世界クラブ選手権で優勝したACミランをはじめ、世界的な名声と人気を誇るクラブも少なくない。 だが、イタリアサッカーの奥の深さは、そんな「頂点の高さ」ではなく、むしろそれを支える「底辺の広さ」の方にある。国内最高峰のセリエAにはじまって、4部リーグにあたるセリエC2まで、全国各地に132ものプロチームがある。人口5万人以上くらいの町なら大体どこでも、地元に根ざした「おらがチーム」を持っているのが普通なのである。 ここ、北イタリアはヴェネト州のバッサーノ・デル・グラッパも、そんな町のひとつだ。 水の都ヴェネツィアから北に車で1時間。中世の面影を残す洒落た街並みを持つ人口4万人ほどのこの小都市は、イタリアを代表する蒸留酒「グラッパ」の故郷として、広くその名を知られている。 しかし、バッサーノの人々が誇りにしているのは、グラッパだけではない。この町を代表して戦う地元のサッカークラブ「バッサーノ・ヴィルトゥス」もまた、立派な誇りの対象だ。 中世から受け継がれてきた市の紋章と同じ赤と黄色をシンボルカラーとするバッサーノ・ヴィルトゥスは、今シーズン、セリエC2(4部リーグ)で首位争いを繰り広げている。もしシーズンを終えてセリエC1(3部リーグ)への昇格を勝ち取ることができれば、100年を超えるクラブの歴史においても初めての快挙となる。 世界のトッププレーヤーが集うセリエAと比較すれば、セリエCのサッカーがずっと見劣りすることは言うまでもない。しかし、バッサーノの人々にとって、そんなことは大したことではない。大事なのは、毎週末、愛する地元のチームが戦うのを見守り、サポートするためにスタジアムに足を運び、そこで小さな祝祭の時間を過ごすことなのだから。 現在バッサーノ・ヴィルトゥスを所有しているのは、地元で最も大きな企業であり、グラッパで知られるこの町のもうひとつの側面である豊かな産業都市という顔を代表する世界的なジーンズメーカー「ディーゼル」のオーナー社長レンツォ・ロッソ。1996年、アマチュアの7部リーグに低迷していたクラブを買い取り、10年かけて少しずつ強化し4部リーグまで引き上げてきた。 「サッカークラブを買い取ったのは、バッサーノの町、そしてディーゼルで働く1000人を超える地元の若者たちに、情熱や喜びをプレゼントしたいと思ったから。僕自身もサッカーが好きだしね。ディーゼルのマーケティングに使うとか、僕自身が名声を求めようとするなら、パドヴァやヴィチェンツァ(いずれも同じヴェネト州にある中都市のクラブ)といったもっと上のカテゴリーにいるチームを買収した方がずっとよかった。でも目的はそんなところにはない。僕なりのやり方で地域に貢献したいと思っただけなんだ」 そう語るロッソ氏は、ぼさぼさの長髪に無精髭、ニットキャップとシルバーアクセサリーという、大企業の社長とは思えないいでたちでメインスタンド中央に陣取り、地元の人々に混じってチームを応援していた。 今イタリアでは、フーリガンの暴力事件で死者が出るなど、サッカーをめぐるネガティブな問題が社会を賑わせており、スタジアムは決して安全な場所とはいえなくなっている。しかし、ここバッサーノに限っては、それはまったく当てはまらない。それどころか、試合が終わると、スタジアムの一角には飲み物と食べ物を無料で振る舞うコーナーが準備され、そこで出場していた両チームの選手から、応援に来ていた敵味方のサポーターまでが一緒になって交流を楽しむ「テルツォ・テンポ」(第3の時間)と呼ばれるイベントが恒例になっているほどだ。 ラグビーのノーサイド精神に範を取ったこのイベントは、ロッソ氏の発案によるもの。クラブの協力の下、サポーターグループが主催し、スポンサーが飲食物を無料で提供するという二人三脚で運営されている。この日も試合が終わると、チームカラーのマフラーを首に巻いた老若男女が集い、ビールやワインを片手に、地元名産の腸詰めと縮みキャベツのワイン煮込みを肴にして、冬の夕暮れの冷え込みをものともせずにサッカー談議に花を咲かせていた。 マイク片手にイベントの司会を務めていたサポーターグループの幹部、ジュゼッペさんは言う。 「人口4万人の小さな町がプロのチームを持っていること自体、十分に素晴らしいことなんだ。勝ち負けよりも、こうやって子供連れから老夫婦まで、町の人たちが一緒にわいわいがやがや、楽しく過ごせるっていうのが大事なのさ。この間、行く先々で暴れ回ってるっていう噂の敵サポーターがやって来たけど、試合の後はここで俺たちと多いに盛り上がってたよ。気のいい奴らだったね」 ACミランやカカとは無縁だ。でも、この日スタジアムに集まった2000人あまりの人々は、本当に楽しそうに日曜日の午後を過ごしていた。■ 2. 都市バッサーノ ドロミテ・アルプスに源を発しヴェネツィア湾に流れ込むブレンタ川が、山地から平野部へと顔を出したその河畔に位置するバッサーノ・デル・グラッパは、水上交通の要所という地理的条件もあり、中世から商都として栄えてきた。 バッサーノ・ヴィルトゥスやディーゼル・ジーンズが、この町の現代的な側面を代表する顔だとしたら、歴史的側面のシンボルといえるのは、ブレンタ川にかかる木造の橋「ポンテ・デッリ・アルピーニ」(ルネッサンス時代の名建築家パッラーディオの設計)であり、その橋のたもとで200年以上前から変わらぬ佇まいを見せている老舗ボルトロ・ナルディーニ社の「グラッペリア」、すなわちグラッパ蒸留・販売所である。 1779年、初代ボルトロ・ナルディーニがここにあった食堂を買い取り、一家に代々伝わる製法でアクアヴィーテ(命の水。当時蒸留酒は一般的にこう呼ばれていた)を蒸留し売り始めたのが始まり。それから現在まで、このグラッペリアはバッサーノの人たちの社交場として存在し続けてきた。壁にはグラッパをはじめナルディーニ社の製品がずらっと並ぶ。品揃えも同社のグラッパとリキュール類のみで、その味をしっかり味わってほしいという理由から、つまみの類いすら置かないストイックさだ。 ここに集うのは町の男たち。お昼過ぎと夕方には食前酒をひっかけに、昼食後の時間帯には「消化を促す」といわれるグラッパをきゅっと一杯。寒い冬の日などは、朝からアルコール度数50%のグラッパで身体を温めてから仕事に向かう剛の者も少なくないという。 バッサーノ・ヴィルトゥスの試合の翌日に訪れたら、昨日のスタジアムで顔を合わせたサポーターの何人かが、グラスを片手に世間話に花を咲かせていた。 グラッペリアを後に、中世から変わらぬ佇まいを残す瀟洒な建物の間を縫って町の中心部に足を向けると、市庁舎と教会に面した2つの広場がある。その広場のそこここでも、町の人々が立ち話。人口4万人の小都市だからか、町の中心に事務所を構えて仕事をするような人々は、みんなお互い顔見知りという感じだ。ミラノのような大都市とは違って、ここでは生活のリズムがゆっくりと流れている。■ 3. ナルディーニのグラッパ バッサーノといえば、やはりグラッパ。ワインを醸造した後に残ったぶどうの搾りかすを原料とする、イタリアを代表する蒸留酒である。 グラッパという名前は、元々はドロミテ山中のワイン生産地で作られる蒸留酒(アクアヴィーテ)の愛称だった。その由来には2つの説がある。ひとつは「ぶどうの房」を意味する「グラッポロ」から来ているという説。もうひとつはバッサーノの背後にそびえるグラッパ山にちなんだという説。しかし、グラッパ山という名前も、バッサーノ・デル・グラッパという名前も、その呼び方が広く普及したのは19世紀に入ってからとされることから、おそらく前者が正しいと思われる。グラッパという酒こそが、すべての名前の源、というわけである。 その生みの親とも元祖ともいわれるのが、1779年に木造橋のたもとでグラッパの蒸留・販売を始めて以来現在まで、230年近い歴史を誇る老舗中の老舗、ボルトロ・ナルディーニ社だ。創業以来、一貫して家族経営を守り、いたずらに規模を追求することなく、高品質のグラッパだけを市場に送り出してきた。 ワインを造った残余物を二次利用して作られるグラッパは、本来、ピュアでシンプルな地酒である。しかし、例えば日本の焼酎もそうであるように、近年はグラッパメーカーの間にも高級化と多様化の波が広がってきた。ぶどう品種の個性を前面に打ち出した単一品種によるグラッパを展開し、ボトルやパッケージにも趣向を凝らして、多品種少量型の品揃えを売り物にするメーカーも少なくない。今や、そちらのやり方の方が主流になったと言ってもいいくらいだ。 しかしナルディーニは、そんな流れの中にあっても、頑として昔ながらのやり方を変えず、地元で獲れるいくつかの品種をブレンドした、たった1種類のグラッパだけを造り続けている。昨年80歳を迎えたという当主ジュゼッペ氏は語る。 「ナルディーニのグラッパは、私の曽祖父から代々受け継がれてきたレシピを今も守って造られています。異なる味わいを持った品種をブレンドし、一番美味しいと信じる伝統的な、すなわちオリジナルなグラッパの味わいを自信を持って提供するのが最良のやり方だと信じているからです。毎年の作柄によって味は変わりますから、年によりブレンドの比率は変わります。私を含めて4人の利き酒師で、毎年の味を決めています。ひとつのぶどう品種から造ったグラッパが美味しいとは限りませんよ」 使うぶどうは、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロといった赤ぶどうが70%、ピノ・ビアンコ、トカイなどの白ぶどうが30%。そのブレンドのレシピはもちろん、容量1リットルのボルドー型ボトルも、バッサーノのシンボルである木造橋を描いた銅版画によるラベルも、そこに書かれた(グラッパではなく)アクアヴィーテという商品名も、50%という高いアルコール度数も、宣伝広告を一切行わない営業方針も、すべては創業時から200年以上にわたって変わることなく受け継がれてきたものだ。 ナルディーニのカタログには、フレーバーをつけた薬草酒などもラインアップされているが、そのベースとして使われるのはすべて同じグラッパである。年間400万リットルという生産・販売量のうち90%以上は、通称「ビアンカ」(白)と呼ばれる、この昔ながらの透明なグラッパが占めている。 「目先の市場に振り回されて、私たちの原点を失ってしまうことがあってはなりません。頑固と言われようが時代遅れと言われようが、伝統を守り抜いて行くことが大事なのです」 ジュゼッペ氏の言葉には、グラッパの元祖ならではの誇りと自信が込められている。 しかし、ナルディーニは決して伝統の殻の中に閉じこもっているわけではない。2004年、創業225周年の記念事業として、バッサーノ郊外にある現在の蒸留所(橋の蒸留所は今は博物館になっている)の敷地内に、イタリアが誇る現代建築の鬼才マッシミリアーノ・フクサス(アルマーニ銀座タワーも彼の設計)の手になるスーパーモダンなモニュメント「レ・ボッレ」を完成させた。 まるで宇宙船が降り立ったかのごときシュールな風景を現出させる、全面ガラス張りのふたつの楕円球は、グラッパ蒸留時に生まれる気泡をイメージしたものという。その内部には、グラッパの品質検査と製品開発のためのラボラトリーと会議室が、そして半地下になったその下のスペースには、企業紹介ビデオの上映から小さなコンサートまでに使えるオーディトリアム(小ホール)が組み込まれている。 「ここヴェネトには、歴史的な建造物はたくさんありますが、現代的な建物といえば工場や倉庫ばかり。伝統に根ざしながら未来に目を向ける地元企業として、未来にこの時代の遺産として受け継がれるような何かを残したかったのです」 あらゆる建築雑誌に紹介され、毎日世界中から見学者が引きも切らないというこのモニュメントは、木造橋やグラッパと並ぶ、バッサーノの新たなシンボルのひとつとなりつつある。 ディーゼルとナルディーニ。分野もスタイルも経営哲学もまったく異なるこのふたつの企業に共通しているのは、地元バッサーノへの愛情と誇りである。この小さいながら美しい町を心から愛し、そこから世界に向けてメッセージを発信して行く。伝統と革新。そして地域愛。イタリアという国の豊かさの一端がそこにはある。■ (2008年12月/初出:『翼の王国』2009年2月号) Posted at 02:03 午後 月 - 11月 2, 2009EURO2008出場を賭けたスコットランド戦(2007.11)アーカイヴ#112。ドナドーニ監督時代のイタリア代表シリーズその4です。 1.
プレビュー
「イタリアは引き分けのエキスパートだ。彼らには『この試合は引き分けるために戦おう』と言ってそれを実現できるだけのクオリティ、規律、秩序がある。もし私に金があったら、喜んで引き分けに賭けるところだ」 これは、ワールドカップ決勝でイタリアに負けたことを今でも根に持っているフランス代表監督、レイモン・ドメネクのコメントである。 スコットランドが10月17日、グルジアに敗れるという失態を犯してくれたおかげで、イタリアはこの試合に引き分けさえすれば、ユーロへの切符がほぼ確実に手に入るという立場になった。 「勝たなければならない」と「負けなければいい」では、天と地ほどの違いがある。イタリアは過去にスコットランドの地で4度戦っているが、一度も勝ったことがない。2年前のワールドカップ予選でも引き分け止まりだった。だが、ドメネクの言う通り、イタリアは「負けないこと」に関しては一流である。それを考えれば、グルジアの勝利がどれだけ大きなプレゼントだったかもわかろうというものだ。 スコットランドは、代表レギュラーの大半が所属するレンジャーズとセルティックの先週末の試合を延期するなど、国を挙げて代表を支援する態勢を敷いているようだ。しかしイタリアは、代表よりもクラブの都合が優先である。前回の国際Aマッチデーウィーク以来、アズーリのレギュラークラスはほぼ全員、セリエAと欧州カップ、週2試合ずつのハードスケジュールで7試合をびっちりこなし、疲労を着実に蓄積している。 ドナドーニ監督にとって幸運なのは、チームの背骨であり絶対不可欠な存在であるFWトーニ、MFピルロ、ガットゥーゾ、デ・ロッシ、DFカンナヴァーロ、GKブッフォンというセンターラインが、やや疲労の色が見えるとはいえ揃って健在なこと。最終ラインは、マテラッツィとザンブロッタが故障でメンバーから外れているが、バルザーリ、オッドと代役が揃っており大きな不安はない。 もしこれが「勝たなければならない」試合ならば、手薄な攻撃陣を不安視しなければならなかったところだが、今回は「負けなければいい」戦いである。「引き分けのエキスパート」たちは、アウェーの修羅場も十分に経験済み。一方、勝つしかないスコットランドは、最大の武器である堅守速攻をどこかで捨て、意を決して前に出なければならなくなるはずだ。イタリアは無理をせずにじっくりと構え、その時を待ってカウンターでとどめの一撃を狙おうとするだろう。イタリアの計算高さ対スコットランドのブレイヴハート。サッカーの神様はどちらに微笑むだろうか。□ ●予想スタメン(4-3-3) GK:ブッフォン DF:オッド、カンナヴァーロ、バルザーリ、グロッソ MF:ガットゥーゾ、ピルロ、デ・ロッシ(アンブロジーニ) FW:イアクインタ(クアリアレッラ)、トーニ、ディ・ナターレ □ 2. プレビューコラム:ドナドーニの権威 歴代のイタリア代表監督の中で、ロベルト・ドナドーニほど世間から軽く見られている監督はいないだろう。 U-21代表やクラブで充分な経験と実績を積み、評価を確立した指揮官が就くべき名誉あるポストだった代表監督の座に、セリエA下位チーム(リヴォルノ)の監督をたった1シーズン半務めただけで就任したのだから無理もない。しかも、カルチョスキャンダルによる権力の空白状態の中で、まったくの門外漢である臨時コミッショナーによって任命されたという就任の経緯も、代表監督としての権威にはそぐわない。 つまるところ、ドナドーニの代表監督というのは、例外的な特殊事情がもたらしたアブノーマルな事態であり、遅かれ早かれ何らかの形で「正常な状態」に戻るべきだと、広く考えられているということだ。 「正常な状態」というのは、然るべき人物が監督の座に就くか、あるいはドナドーニが実績を作ることによって然るべき人物と認められるようになるか、そのどちらかである。いったいどちらになるのか、その最初の重要な関門が、今回のスコットランド戦ということになる。 もしこの試合を落とし本大会出場を逃すようなことになれば、石もてその座を追われること確実である。後任には、最近になって急に「もうすぐ現場に復帰できる環境が整う」と言い出した前監督マルチェッロ・リッピがスタンバイしている。ワールドカップを勝ち取った2年後にユーロ予選で敗退するという許されざる恥辱からアズーリを立て直すリーダーとして、国民的なコンセンサスを得られる唯一の存在だ。 だが、たとえ本大会出場を果たしたとしても、今度は本大会というハードルが控えている。グループリーグ突破はいわずもがな。少なくともベスト4に進出しない限りは、やはり失格の烙印を押される可能性が高い。要するにドナドーニは、誰もが納得する結果を出さない限り、いずれにしても来夏限りでお役御免になる運命にあるということだ。その場合の後任は、もちろんリッピである。□ 3. マッチレポート:スコットランド1-2イタリア 引き分けでもOKの試合で2-1の勝利を収め、あと1戦を残して予選突破を決めたのだから、結果には文句のつけようがない。しかしこの試合、勝負は本当に紙一重だった。 1-1で迎えた後半36分、スルーパスに反応して裏に抜け出したミラーからの折り返しが、ファーポストにフリーで走り込んだマックファーデンにぴったり合った時には、本当に肝が冷えた。もしこのシュートが枠を捉えていれば、イタリアは奈落の底に突き落とされていたはずだったのだ。 開始直後の先制ゴールで大きく優位に立ったところまでは注文通りだったが、その後の風向きはむしろイタリアにとって逆風だった。 主導権を握って試合を進めていた前半31分、ディ・ナターレがこぼれ球を押し込んで決めたゴールは、存在しないオフサイドで取り消され、後半20分に同じようなシチュエーションから決まったファーガソンの同点ゴールは、明らかにオフサイドだったにもかかわらず認められる。 2-0のはずが1-1。サッカーの神様は、明らかにスコットランドの肩を持っているように見えた。ほんの小さな不運も、2つ、3つと重なれば致命的なダメージにつながりかねないものだ。 だがイタリアは、ドナドーニ体制になってから最も説得力のある内容と断言できる力強い戦いぶりで、その逆風をはね返した。 アウェーのプレッシャー、低い気温、雨、重いピッチという不利な状況にもかかわらず、フィジカルなぶつかり合いを挑んできたスコットランドに一歩も引かず応戦、1点リードしてからも受けに回ることなく、陣形をコンパクトに保ち高い位置から積極的なプレッシングを続ける。計算高く引き分けを持ち帰ろうという狡猾な姿勢はかけらも見せず、正攻法で勝利をもぎ取るという強い意志を最後まで貫いたことは、特筆に値する。 トッティもデル・ピエーロもいないアズーリは、ワールドカップを勝ち取ったチームよりもさらに地味で華がない。しかし、11人全員の献身に支えられた戦術的秩序、チームとしての結束力は他を寄せ付けないレベルにある。本大会ではやはり優勝候補の筆頭、と言いたくなるだけの実質が、この日の戦いには詰まっていた。■ (2007年11月10日&18日/初出:『footballista』) Posted at 01:09 午前 月 - 10月 19, 2009ドナドーニの受難(2007.03)アーカイヴ#111。ドナドーニ監督時代のイタリア代表シリーズその3です。 3月28日にバーリのスタディオ・サン・ニコラで行われたユーロ2008予選グループBのイタリア対スコットランドは、イタリアがトーニの2ゴールで2-0と勝利を収め、勝ち点を10に伸ばした。
イタリア、フランス、ウクライナと、ドイツ・ワールドカップのベスト8が3ヶ国も同居するグループBは、そこにホームでフランスを破るという大殊勲を挙げた伏兵スコットランドが割り込んで来たこともあって、大混戦の様相を呈している。その中で、世界王者の看板を背負うイタリアは、予選5戦目となるこの試合を迎えた時点で、5試合を消化して勝ち点12で並んだフランス、スコットランド、ウクライナに5ポイント差をつけられての4位。ここでスコットランドに勝てなければ、まだ1年半も先を残しながら本大会出場の可能性が大幅に狭まるという、非常にクリティカルな状況に置かれていた。 今回の国際Aマッチウィーク、イタリアはこの1試合だけで、前週土曜日には試合が組まれていなかった。3月19日の代表合宿招集から試合までたっぷり10日間、準備の時間があったわけだが、問題は例によって、毎日の誌面を埋めなければならないマスコミの存在である。 試合のプレビューが「ここで勝てなければ大変なことになる」という煽り方になることは避けようがなかった。それだけならまだいいが、イタリアらしいのは、すぐに「もし勝てなかったら監督交代は必至。次は誰だ?」という議論の方が、いつの間にか中心になってしまうところ。 これがちょうど、ミランのアンチェロッティ監督があるインタビューで「将来は代表監督をやってみたい。ドナドーニが彼のサイクルを終えてからの話だけど」と口にしたのと重なっただけでなく、移籍マーケットまわりの報道で「ミランがマルチェッロ・リッピ元代表監督に来期の監督就任を打診した」という噂(たぶん事実)までが飛び交っていた時だったからさあ大変。 あっという間に、1)ドナドーニの立場は微妙、2)アンチェロッティは代表監督を夢見ている、3)ミランが次期監督にリッピをリストアップ、という3つのストーリーが各紙記者の間で脳内変換されて、「ミランは、かつてアリーゴ・サッキを厄介払いした時と同じように、アンチェロッティを代表に押し込んでリッピを次期監督に迎える。ドナドーニは6月でクビ」という話が、あたかも既定の事実のように報道され始め、アズーリはその喧騒の中で、この大事な試合を迎えることになってしまった。 もちろん、マスコミがすぐこうした論調に流れてしまう背景には、ドナドーニの手腕に対する不信感がある。クラブの監督としての目立った実績もなく、43歳で代表監督に就任したという、過去に例のない経緯。ユーロ予選では初戦にホームでリトアニア戦に引き分けて勝ち点2を取りこぼし、続くアウェーのフランス戦は1-3の完敗と、世界王者にはふさわしくない結果。試合ごとにシステムを変えるわかりにくい采配。どんな時にも声を荒げることなく淡々と選手に接する、見方によっては弱腰とも取られかねない態度。イタリアが、安心して代表チームを委ねることができる器かどうか、ドナドーニの手腕を未だ量りかねていることは間違いなかった。とは言っても、一連の報道が、あまりにドナドーニに対するリスペクトを欠いていたことも明らかな事実だったが。 ドナドーニは、試合前日の記者会見で、淡々と、しかしきっぱりと反論する。 「この1週間、ありとあらゆる種類のデマやでっち上げを読まされてきた。結果が出せない時に叩かれるのは当然だが、我々はまだ戦ってもいない。こんな馬鹿げたゲームに乗せられるつもりはない」 肝心の試合は、立ち上がりからイタリアが主導権を握る。とはいっても、積極的に攻め立てるというよりは、慎重に試合をコントロールしながら、勝負に出るタイミングをうかがう、いつもの戦い方だ。実力を比較すれば明らかに格下のスコットランドは、しかもアウェーでは大きくパフォーマンスを落とす、典型的な“内弁慶”である。前半12分、セットプレーからトーニが頭で押し込み、あっけなくイタリアが先制。その後もピンチらしいピンチを迎えることなく落ち着いて試合を運び、後半25分にトーニがヘッドでもう1点決めて、何の波乱もない順当過ぎるほど順当な2-0で終了した。 これでイタリアは、勝ち点12で首位に並ぶ3ヶ国(スコットランドのみ6試合消化)に、2ポイント差まで詰め寄った。このライバル3ヶ国との直接対決の成績は2勝1敗。勝負の行方は、来年9月のフランス(ホーム)、ウクライナ(アウェー)との連戦で決まることになるだろう。 試合の翌日、ドナドーニは淡々とこう語った。 「これから当分、代表の話題が俎上に上ることはないだろうが、6月にはまた、ほんの数日間にすべてが集中することになる。せめて次回は最低限の経緯は払っていただきたい」 しかし、マスコミにはマスコミの都合がある。格下相手の勝利を手放しで褒め称えて監督への評価を変えるほど、おめでたくもない。6月はリトアニア、フェロー諸島とのアウェー2連戦。もしここで勝ち点6を確保できなければ、また“馬鹿げたゲーム”が始まることは間違いない。□ Posted at 12:36 午後 日 - 10月 11, 2009カッサーノに未来を託すドナドーニの新生アズーリ(2006.09)アーカイヴ#110。10月10日のアイルランド戦にドタバタで引き分けたイタリア代表は、無事に南アフリカ行きの切符を手に入れました。試合の詳細は水曜発売の『footballista』に寄せたマッチレポートをご参照いただくとして、それを書いていて、このアーカイヴで「イタリア代表の歩みシリーズ」がやりかけになっていたのを思い出しました。ということで、これから少しずつ、2006年秋以降のアズーリについて書いた原稿をアップして行くことにします。 ワールドカップが終わって2ヶ月。日本がすでにアジアカップ予選を戦い始めたのと同様、ここヨーロッパでもすでに、次のビッグトーナメントである2008年欧州選手権(スイスとオーストリアの共催)に向けた予選が始まっている。
ドイツで世界の頂点に立ったイタリアは、リッピ監督の勇退後、年功序列的な色彩が強かった従来の代表監督選考の慣習を覆し、指揮官としてこれといった実績を持たない43歳の若手監督ドナドーニを後任に据えて、新たなスタートを切った。 表面的には、クリンスマン~レーヴ(ドイツ)やファン・バステン(オランダ)、ドゥンガ(ブラジル)といった、サッカー大国の若手監督ブーム?にイタリアも乗った格好だが、実際には、絶対的な有力候補がおらず、かなり場当たり的に選ばれた感がなきにしもあらず。カルチョスキャンダルの影響もあってイタリアサッカー協会の権力中枢が空洞化しており、絶対的な権限を持つ会長が不在という事情もあって、今回はキャプテンのカンナヴァーロをはじめとする選手たちの意見もかなり影響したようだ。何にせよ、この選択が吉と出るか凶と出るかは、これからの結果次第であることに変わりはない。 で、その結果なのだが、これが芳しくない。8月16日に戦ったクロアチアとの親善試合は0-2で敗戦。これは、ワールドカップ組がひとりも入っていない「Bチーム」だったので参考記録でしかないが、9月2日にナポリで戦った欧州選手権予選の初戦で、FIFAランキング67位(イタリアは2位だ)のリトアニアと1-1で引き分けてしまったのだ。これはちょっと嫌な兆候である。 ドナドーニは、就任当初から「リッピの路線を継承する。大きくチームをいじることは考えていない」と宣言してチーム作りに取り組みはじめた。基本に据えたシステムは、攻撃志向の強い4-3-3。ワールドカップで優勝を勝ち取った4-4-1-1よりも、ずっと前がかりの布陣である。 それでどこがリッピ路線の継承なのか、と訝る向きもあるかもしれない。しかしリッピは、就任からワールドカップ直前までの2年間を通じ、「常に前線に3人のアタッカーを起用する」という攻撃的な姿勢を打ち出して、実際に結果を残してきた。ワールドカップ本番でも、当初は2トップとトップ下を前線に配した4-3-1-2でスタートしているのだ。 結果的に、大会の途中でより守備を重視した4-4-1-1へとシステムを修正、堅固なディフェンスを土台にした手堅いサッカーへの路線変更を通じて優勝を勝ち取ったことも事実ではある。しかしそれは、トップ下で攻撃の中核となるべきエース・トッティがコンディション不良で攻守のタスクをこなし切れず、本来目指していた路線を修正せざるを得なかった結果である。もしトッティが完調で、トップ下に求められる守備の仕事をこなしながら、攻撃の局面で決定的な違いを作りだせるコンディションにあったら、リッピ監督は4-3-1-2を維持したまま最後まで戦ったことだろう。 そしてドナドーニは今、前任者リッピにとって一種妥協の産物でもあった4-4-1-1の現実路線ではなく、本来打ち出してきた「3アタッカー路線」の方を継承しようとしている。この方向性は、できれば順調に発展してチームとして完成した姿を見てみたいと思わせる、好ましい方向性である。 だが、リトアニア戦でのイタリアは、まだセリエAが開幕しておらず実戦感覚もフィジカルコンディションも十分とはいえないこともあって、コンパクトな陣形を保ち切れずにチームが間延びし、運動量の多い相手に振り回されて対応が後手後手に回るという悪循環で、主導権を握れず思わぬ苦戦を強いられた。相手が明らかな格下であることを考えれば、見るに耐えない内容だったと言うことすらできるかもしれない。 前線にひとり多く人数を割く分、攻守のバランスを取るのが難しい4-3-3というシステムを機能させるために十分な条件(フィジカルコンディションやチームとして練習する時間)が整わないまま、強引に実戦に導入したのが裏目に出た格好である。 その中で唯一、明るい材料といえるのが、1年数ヶ月ぶりにアズーリに戻ってきた天才児/問題児カッサーノのプレーだった。所属するレアル・マドリードに恩師カペッロがやってきたことでモティベーションを取り戻したのか、2年前のユーロ2004でのプレーを彷彿とさせる、トリッキーなドリブル突破でほとんどのチャンスに絡む活躍。チームが守備に回った瞬間にボールへの興味を失うのは相変わらずだが、それでもイタリアが作り出した3つの絶対的な決定機をすべて演出したことを考えれば、トータルでの収支は圧倒的なプラスである。 トッティが代表引退をほのめかし、デル・ピエーロがもはや斜陽の時期を迎えた今、個人の力で決定的な違いを作り出し、チームを勝利に導くことのできるタレントは、カッサーノ以外にはいない。まだレアルで実績らしい実績を残していないにもかかわらず、ドナドーニが彼をあえて招集し、背番号10を委ねてピッチに送り出したのも、それを深く知るからだろう。イタリアに残された最後の原石を、何としても世界に誇る宝石にまで磨き上げなければ、アズーリに未来はないかもしれないのだ。 攻撃志向の4-3-3システムとアントニオ・カッサーノ。これが、ドナドーニ監督の下で新たなスタートを切ったアズーリの出発点である。このチームが結果を残しながら順調に成長していくのか、それともこのままきっかけを掴めず路線変更を強いられるのか。フランス、ウクライナと同居する困難な欧州選手権予選を戦うイタリアの最大の注目点はそこにある。■ ※注 欧州選手権予選は、UEFA加盟52ヶ国のうち開催国のスイス、オーストリアを除いた50ヶ国を7グループに分け、ホーム&アウェーの総当たりで行われる。本大会出場は各グループの上位2ヶ国(と両開催国)。イタリアの入ったグループBは、イタリア、フランス、ウクライナ、スコットランド、リトアニア、グルジア、フェロー諸島という7ヶ国。ワールドカップ8強のうち3ヶ国が同居する激戦区である。□ (2006年9月3日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」) Posted at 12:05 午後 月 - 9月 28, 2009イタリアから見たスペインサッカー(2007.07)アーカイヴ#109。2007年の夏、『footballista』誌のスペインサッカー特集(確か)に寄せた原稿です。 イタリアにおけるスペインサッカーのイメージをひと言でいえば、「テクニカルで攻撃志向が強い、スペクタクルなサッカー」というもの。非常に客観的かつ的確な理解である。
では、そこに価値判断が加わるとどうなるか。意外に思われるかもしれないが、ほとんどの場合その評価はいたってポジティブなものだ。リーガやプレミアの試合もチェックしているコアなサッカーファンに始まって、サッカーの世界に関わっているジャーナリスト、そして選手や監督まで、スペインサッカーを悪く言う声を耳にすることはほとんどない。 「リーガの方がスペクタクルで面白い」と言うファンは少なくないし、弱小チームですら攻撃的な姿勢を貫くスペインサッカーのメンタリティを持ち上げて、自陣に引きこもったまま格上の相手にやられっぱなしで負けたチームの不甲斐なさを叩くジャーナリストもいる。いい試合をすれば負けても拍手してくれるスペインの観客のことを羨ましそうに語る選手や、理想はバルセロナのような攻撃的サッカーだがここイタリアではとても不可能、とこぼす監督だっている。 「隣の芝生は青い」ではないが、カルチョの世界の人々は、スペインを見ると総じて、「いいよな、ああいうサッカーができて」と、ちょっと羨ましく感じているように見える。ただ、羨ましいとはいっても、どこかに、所詮は他人事、という突き放したニュアンスがあることも事実だ。実際、じゃあ自分も「ああいうサッカー」がしたいかということになると、話はまったく違ってくる。 「美しいサッカー」、「スペクタクル」といった言葉を巡って、カルチョの世界の人々と話をすると、返ってくる答えはいつも同じである。「美しく勝つ」というのは、誰もが夢見るユートピアだ。でもユートピアはユートピアでしかない。勝つためには、現実を直視し受け入れることが必要だ。望むもの全ては得られない――。 イタリアのサポーターやクラブ経営者がチームに要求するのは、とにかく結果である。どんなにいいサッカーをしても、負けが続けば許してもらえないし、毎週のように退屈な試合を続けても、結果さえ出していれば誰も文句は言わないというのがカルチョのシビアな現実だ。なぜそうなのかは、それをネタに本を1冊書けるくらい深遠なテーマなのでここでは掘り下げないが、「美しいサッカーをして負けるよりも、ひどいサッカーをして勝つ方がずっといい」というのが、イタリアにおける絶対多数の意見であることは間違いない。そういう環境の中で生きていれば、結果「だけ」を目的として全面的に追求する姿勢が発達し、洗練されていくのは当然の帰結だろう。 イタリア人だって、「美」や「スペクタクル」が嫌いなわけではない。だが彼らにとってそれはきっと、勝利をストイックに追求する上では否応なく犠牲にせざるを得ない付加価値、一種の「贅沢品」のようなものなのだ。それは、勝つ可能性、負けない可能性を最大化しようとする中では、無駄であり非効率なものでしかない。 結果「だけ」を徹底的に追求するというのは、決して楽しいことではない。むしろ退屈で疲れる仕事だ。しかも、結果「だけ」を目的として戦う限り、結果が出なければ成果はゼロ。逃げ道はどこにも残されていない。それでもイタリア人は、そういうシビアな状況を進んで受け入れ、その中で戦い続ける。それはきっと、そのしんどい仕事が勝利という結果で報われたその瞬間にこそ、最大の歓びやカタルシスを感じられるからなのだろうと思う。勝利というのはハードワークと犠牲によって勝ち取るもの、というのが、イタリアのサッカー観であり人生観なのである。 彼らが「いいよな、ああいうサッカーができて」と呟くときに、「美」と「勝利」が両立できると信じて疑わないスペイン人のロマンチックな純粋さ(ナイーブさとも言う)に微苦笑しているようにも見えるのは、だからたぶん深読みではないと思う。□ (2007年7月31日/初出:『footballista』) Posted at 01:28 午前 日 - 9月 13, 2009宣伝:拙著『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)が発売されました
あとがき
本書は、いまサッカー監督として世界で最も大きな注目と評価を集めているジョゼ・モウリーニョがイタリアの名門クラブ・インテルの監督に就任した1年目のシーズンを、ニュートラルな立場から観察し描いたノンフィクションである。 イタリアで活躍するポルトガル人監督の仕事を日本人記者が描く、という構図は、いささか奇妙に映るかもしれない。しかし筆者は、本書に存在意義があるとすれば、まさにその点ではないかと考えている。 筆者は14年前からイタリアに生活の基盤を置き、イタリアサッカーを主対象にした取材・執筆・翻訳を仕事にしてきた。端っことはいえカルチョの世界の内側にあって、その外からやってきたモウリーニョを迎え入れる立場にあったわけだ。 しかし同時に筆者は、モウリーニョがそうであるのと同様、イタリアにおいては外国人であり、その意味においてアウトサイダーでもある。イタリアという社会、カルチョの世界が自然なもの、自明のこととしている考え方や事柄がしっくりこない、すんなり理解できないということも稀ではないし、逆にその違和感に説明をつけることが仕事の一部になってもいる。 イタリアとモウリーニョ、それぞれの視点を借りて物を見ることができる一方で、そのいずれにとっても他者であるがゆえに、どちらからも距離を置いて冷静に観察することもできるというのは、ある意味で非常に恵まれた特殊な立場だ。 この立場からイタリアにおけるモウリーニョの1年間を追うことによって、イタリアというフィルターを通して見えてくるモウリーニョという監督の卓越性と革新性、そして人間的魅力を描き出すと同時に、モウリーニョというフィルターが浮かびあがらせるイタリアサッカーの現在、カルチョの世界の奥深さを、日本のサッカーファンに伝えることができるのではないか、というのが、この本を書きたいと思い立った一番の動機である。 それがどこまでうまくできたかは、読者のみなさんのご判断に委ねるしかない。しかし少なくとも、モウリーニョという監督、インテルやイタリアサッカーに関心がある方はもちろん、すべてのサッカーファンに興味深く読んでいただける内容になったとは思う。 2009年7月28日 片野道郎
Posted at 01:33 午前 土 - 9月 12, 2009チャンピオンズリーグの未来(2007.05)アーカイヴ#108。すっかり間が空いてしまいましたが、新シーズンも始まったことだし、自分で書いた初めての本『モウリーニョの流儀』も出版されたことだし、このアーカイヴだけでも復活しようと思います。 今年の1月にUEFA会長に選任されたミシェル・プラティニは、会長選挙への出馬にあたって「スペイン、イングランド、イタリアからCLに各4チームは多すぎる。予備予選枠をなくす代わりに3チームを上限として、その枠を中堅国に回すべき。ポーランドやブルガリアにもCLに出場する権利はある」と語り、この改革を半ば公約のような形で掲げるなど、現在のビジネス・オリエンテッドなCLのあり方に否定的な見解を表明してきた。
さる5月28日にチューリッヒで開かれたUEFA特別総会では、各国のリーグ、クラブ、選手の代表からなるプロサッカー戦略評議会を設置し、メガクラブと中小クラブ、強豪国のスター選手と弱小国のセミプロ選手が同じテーブルに着いて、欧州サッカーの未来について話し合っていく仕組みがセットアップされた。CLの改革案も、そこで取り上げられることになるものと見られる。 もしプラティニが提唱してきた改革案が実現するとなれば、CLはいったいどんな方向に向かうことになるのだろうか。 表3は、UEFAが過去5年の欧州カップにおける成績を元に算出しているカントリーランキング上位20ヶ国のリーグ優勝クラブがそれぞれ、UEFAクラブランキング(元になっているデータは同じ)で何位にいるかを示したもの。ウクライナ以下の中堅国チャンピオンは、軒並み50位以下である。レベル的には、53位のアンデルレヒトが今シーズンのGLで軽く敗退したくらいだから、それ以下は推して知るべし。 強豪国の参加枠が減り、これら中堅国に本戦出場のチャンスが増えればCLはどうなるのか。明らかに予想できるのは、グループリーグの試合の質が低下することだ。強豪同士が同じグループに入る可能性が減り、1強3弱のグループが増える。マスコミが注目するビッグカードは少なくなり、強豪はもっぱら格下と戦って、早々と勝ち上がりを決めることになるだろう。 逆に、グループ2位争いは白熱するかもしれない。だが、例えばレフスキ・ソフィア対FCチューリッヒの試合が、どれだけ世界中の人々の関心を引くだろうか。セヴィージャ対ラツィオほどでないことは確かだろう。世界市場全体で見れば、グループリーグへの注目度は下がる可能性が高い。 ベスト16はともかく、ベスト8に勝ち残る顔ぶれは、強豪国のメガクラブに固定化されたままだろう。準々決勝から先に、ヨーロッパの頂点を争う最高レベルの戦いが凝縮されるという点でも、今とまったく変わらないはずだ。とはいえ総合的に見ると、エンターテインメント・コンテンツとしての市場価値は、グループリーグの興味が薄れる分低下することになりそうだ。 一方、間接的な波及効果としては、強豪国の国内リーグ活性化(CL出場枠がひとつ減れば競争は激化する)、そしてUEFAカップの再活性化が予想される。これまでCLの常連だったメガクラブも、ひとつ間違うとUEFAカップに格下げになるわけで、CL拡大と反比例して権威と注目度が低下し、今や「欧州カップのセリエB」と化していたUEFAカップが、かつてのような魅力を取り戻す可能性がある。もし本当にそうなって、CLへの一極集中が緩和されるのだとしたら、欧州サッカー全体にとっては悪いことではないだろう。 チャンピオンズリーグを、エンターテインメント・コンテンツとしてのみとらえ、ビジネスの論理を徹底して貫こうとするのならば、UEFAクラブランキングの上位32チームを集めた、文字通りの「欧州最強クラブ決定戦」にするのが一番いいはずだ。現在のランキングをもとにした時の国別の出場クラブ数は、スペイン7、イングランド6、イタリア5、ドイツ4、フランス3、オランダ3、ポルトガル2、ギリシャ1。それ以外の国の弱小クラブはお呼びでない、ということになる。これならば、試合のレベルはグループリーグから今よりもずっと高くなるし、毎週注目カードの連続になるだろう。 しかしこのコンペティションの元々の姿は、UEFA加盟各国のリーグ優勝チームが、トーナメント方式で欧州チャンピオンを決める欧州チャンピオンズカップである。つい10数年前までは全UEFA加盟国に、それこそルクセンブルグやマルタのクラブにだって出場権があったのだ。 CLというコンペティションは、UEFAの収入の8割以上を占めるほど巨大なビジネスとなっている。しかし、そのビジネスが生む利益を、ごく一握りのメガクラブが山分けし、その後にはペンペン草すら生えない(というのは言い過ぎだが)現在のあり方は、欧州サッカー界全体の発展にとって、好ましいことなのだろうか。プラティニがCLの改革を提唱する背景にあるのは、まさにその問いかけである。 プラティニはUEFA特別総会のスピーチで、こう語っている。「ビッグクラブに対して、公にこうお願いしたい。数多くの対立や訴訟を引き起こした自己中心的なエリート主義を捨て、他の全てのクラブに手を差し伸べてほしい。あなた方の経験と考えを欧州サッカー発展のために提供してほしい。全てのメンバーが民主的に力を合わせることによって初めて、サッカーの世界をより良くしていくことができるのだから」。 資本の論理による競争と寡占から、協調主義的な共存共栄へ。限られたエリートを潤すビジネスの拡大よりも、欧州全体におけるスポーツとしてのプロサッカーの総合的な発展へ。プラティニの思想は明確である。 CLのフォーマットが次に変更されるのは、09-10シーズンから。もし本当にプラティニの提唱する方向で改革が行われるのであれば、92年のCLスタート以来、初めての「揺り戻し」ということになる。ヨハンソンからプラティニへの政権交代によって、欧州サッカー界は、ビジネス化一辺倒の時代から、ビジネスの論理とスポーツの論理のせめぎ合い(あるいはバランス)の時代へと入った。それは、決して悪いことではないように見える。□ (2007年5月31日/初出:『footballista』) Posted at 11:59 午前 火 - 4月 28, 2009イタリア代表、ドナドーニ新体制の船出(2006.08)アーカイヴ#107。イタリア代表の歩みシリーズ(?)その13は、ついにドナドーニ時代に突入。たった2年間で、しかも後味の悪い終わり方をしたわけですが、これから追い追い見て行くように、チームができ上がっていくプロセスは決して悪いものではなかったように思います。ドナドーニは先日ナポリの監督に途中就任。オーナーであるデ・ラウレンティス会長の全面的な支持を得ており、クラブチームの監督としての手腕が問われるキャリア最大の節目になりそうです。 1)アルベルティーニが選んだアズーリ新監督
8月も半ばを過ぎ、アルプスの北側ではとっくに06-07シーズンがスタートを切っているのだが、イタリアはまだ何もかもペンディングという状況が続いている。開幕はとりあえず9月10日ということになっているが、あと1週間くらい遅れることも十分あり得るだろう。 国内のゴタゴタが続くのは勝手だが、国際レベルのカレンダーはいつまでも待っていてはくれない。CLはもう予備予選が始まっているし、代表だってあと半月後には、2年後のユーロ2008に向けた予選がスタートするのだ。ぼやぼやしていると、イタリアだけが世界の流れからおいてけぼりを喰らいそうな気配である。 ユーロ2008予選でイタリアが入ったグループBは、フランス、ウクライナ、リトアニア、スコットランド、グルジア、フェロー諸島という、中堅国の層が厚いかなりの激戦区。しかも、9月6日には早くも、フランス対イタリアというワールドカップ決勝のリターンマッチが、しかもアウェーで組まれている。フランスの皆さんはきっと、手ぐすね引いて待っていることだろうが、イタリアの方は、どう考えても準備万端からはほど遠い状態でこの試合を迎えることにならざるを得ない。 ワールドカップ優勝を勝ち取った指揮官マルチェッロ・リッピが、大会終了後に代表監督の座を自ら退いたのは周知の通り。優勝して勇退という最高のシナリオが実現したことで、本人にとってはめでたしめでたしだったわけだが、大変だったのは後任人事である。 サッキ、マルディーニ、ゾフ、トラパットーニ、リッピと、実績十分の中堅・ベテラン監督が就くのが常だったアズーリ最高指揮官のポストに、ロベルト・ドナドーニという、セリエAでの実績すらほとんどない43歳の若い監督が就任したという結末そのものが、事態の難しさを象徴している。 これまでもこのコラムで何度か触れてきたように、イタリアサッカー界は今、権力の空洞化状態が続いている。なにしろ、頂点たるべきサッカー協会(FIGC)からして、独禁法の専門家であるグイド・ロッシ特別コミッショナーによる経営管理下にあるのだ。この体制は、カルチョの世界が構造的に抱えていた腐敗を一掃するという観点からすれば、確かに一定の成果をあげつつある。しかし、まさにそれゆえ、代表監督人事という純粋にサッカー的な問題に直面した時には、トップであるロッシ特別コミッショナーがまったくの門外漢であり、自らの責任で意思決定を下せる知見も経験も持ち合わせていないという矛盾に直面することになってしまった。 誰もが納得するであろう自然の流れからすれば、リッピの後任に最もふさわしいのは、ファビオ・カペッロ、カルロ・アンチェロッティのどちらかだった。いずれも文句のつけようのない実績を持った名将であり、いずれは代表監督に、という野心も以前から表明してきた。しかし、カペッロはレアルの監督を引き受けたばかり。アンチェロッティも、一度はそのレアルの監督就任を内諾しながら、ベルルスコーニ会長に契約解消を認めてもらえずにミラン残留が決まったという状況で、代表監督を引き受けられるようなタイミングではなかった。 この2人の目がないとなると、候補者の顔ぶれはぐっと小粒になってしまう。その当然の帰結として、誰もが納得する人選も不可能になる。選考の過程で挙がった名前は、アルベルト・ザッケローニ(元ミラン、インテルなど)、クラウディオ・ラニエーリ(元ヴァレンシア、チェルシーなど)、ジャンルカ・ヴィアッリ(元チェルシー、ワトフォード)、クラウディオ・ジェンティーレ(U-21代表監督)、そしてドナドーニといったところ。 最高責任者であるロッシ特別コミッショナーに判断能力がないという特殊な状況の中で、選考において大きな発言権を持ったのが、副コミッショナーであるデメトリオ・アルベルティーニだった。90年代を通してミランとアズーリの中盤を支えた後、04-05シーズンを最後に引退。現役時代からイタリアサッカー選手協会(AIC=プロサッカー選手の労働組合組織)の役員を務めるなど、サッカー界内部の政治に積極的にかかわって広く人望を集めてきた。選手など現場の利害を代表する形で、ロッシ特別コミッショナーの片腕に任命されたことで、弱冠30代半ばで代表監督選考のキャスティングボードを握るという巡り合わせになったわけだ。 そのアルベルティーニが、カンナヴァーロ、ブッフォン、ガットゥーゾ、ピルロといったチーム内のオピニオンリーダーの意見も聞いた上で、最終的に強く推したのがドナドーニだった。周知の通り、アルベルティーニとドナドーニは、ミランで長年ともにプレーしてきた仲である。 ワールドカップで、クリンスマン(ドイツ)、ファン・バステン(オランダ)という、現役を退いて間もない40歳前後の青年監督が結果を残し、今度はブラジル代表監督にもドゥンガが就任するなど、ドイツ大会をひとつの契機にして、代表監督というポストの位置づけには少なからず変化が起こり始めているという印象がある。十分な経験と実績を詰んだベテラン監督がキャリアの最後を飾る“上がり”のポストではなく、選手と同じ目線に立ってチームをまとめて行こうという若くて野心的な監督の活躍の場に変わり始めている、といえばいいだろうか。 とはいえ、セリエAの監督としてわずか半シーズンの経験しかない若手をアズーリの指揮官に据えるというこの選択が、イタリアにとって大きな冒険であることに変わりはない。世界の頂点に立ったのはいいが、その直後にまた一から出直し、という印象すらある。 というところで、残念ながら紙幅が尽きてしまったので、そのドナドーニ体制の船出と展望に関しては、引き続き次回に取り上げることにしたい。■ 2)イタリア代表は斜陽に向かうか ラテン3国(イタリア、スペイン、ポルトガル)を除くほとんどの国で、新シーズンのリーグ戦が開幕したヨーロッパ。代表レベルでも、欧州選手権(スイス、オーストリア共催)に向けた予選が来週末からスタート、2年後の本大会に向けた新しいサイクルを迎えることになる。 前回お伝えした通り、ワールドカップ優勝国のイタリア代表は、マルチェッロ・リッピ監督の勇退に伴って、43歳のロベルト・ドナドーニを後任に据え、新たなスタートを切った。 選手時代のドナドーニは、80年代から90年代にかけてミランの黄金時代を支え、イタリア代表としても90年(3位)、94年(準優勝)と二度のワールドカップでレギュラーを張った、この時代を代表する攻撃的MFのひとりだった。だが監督としてはまだ実績らしい実績を残しておらず、その手腕は未知数といっていい。 「リッピ監督の路線を継承する。大きくチームをいじることは考えていない。私の色を出して行くのは、チームを掌握し理解してからでも遅くはない」というのが、ドナドーニの就任第一声。ワールドカップで優勝したチームを引き継ぐことを考えれば、これはある意味で当然の姿勢だろう。 しかし、実のところアズーリは、チームとしてのサイクルから見て非常にデリケートな局面にさしかかっている。ワールドカップを戦ったレギュラー陣の多くは、6年前のユーロ2000から主力を張ってきたベテラン。平均年齢は28歳を超えており、出場国中最も高い部類に属していた。2年後のユーロ2008開催時点で30歳の大台に乗らない選手は、ブッフォン、ガットゥーゾ、ピルロの3人のみ。凖レギュラーだったジラルディーノとデ・ロッシを入れてもたった5人に過ぎない。 まさか、このままのメンツで2年間戦い、ユーロに臨むわけにはいかないだろう。つまり、ドナドーニには、何人かのベテランに引導を渡して世代交代を進めるという、決して簡単ではない仕事が求められているということだ。 だが本当の問題は、これからのイタリアを担うべき「次の世代」に、優秀な人材が育っていないというところにある。 デビュー戦となったクロアチアとの国際親善試合(8月16日)、ドナドーニは、まだヴァカンス明けで調整が遅れているワールドカップ組を一切招集せず、それ以外の選手の中から22人のメンバーを選ばなければならなかった。その顔ぶれが、上のリスト<文末につけました。写真にかぶせて下さい>である。 いわば「B代表」ともいうべきこの招集メンバーには、本来ならばアズーリの次代を担う若手がずらっと顔を揃えていて然るべきところ。ところが現実は、ご覧の通り平均年齢27歳強、下位リーグからスターとして、セリエAの中小クラブでキャリアを詰んできた叩き上げの中堅・ベテランが大部分を占めることになった。 もちろん、それが悪いと一概に決めつけることはできない。今回のワールドカップでも、グロッソ、マテラッツィといった叩き上げの猛者が、イタリアの優勝に大きな貢献を果たしている。彼らのような貴重な脇役は、どんなチームにとっても欠かせない存在である。 しかし、アズーリでチームの中核を担ったブッフォン、ネスタ、カンナヴァーロ、ザンブロッタ、ピルロ、ガットゥーゾ、トッティ、デル・ピエーロといった選手たちは、20歳前後からすでに将来を約束され、20代前半ですでにA代表でプレーしていたエリートだったことも事実である。彼らはその時点ですでに、絶対的な素質・タレントという点で明らかに傑出した存在だった。そして、ピッチ上で決定的な違いを作り出し、チームを勝利に導くのは、やはり彼らワールドクラスのトッププレーヤーたちなのである。 ところが、現在20代前半の世代を見ると、数年後には代表の主力間違いなしといえるタレントは、デ・ロッシ(ローマ/ワールドカップで肘打ち事件を起こした)とカッサーノ(レアル・マドリード/問題児ぶりには定評あり)、そしてジラルディーノくらい。それ以外にも「原石」は何人かいるが、まだセリエAで評価に値する実績を残すところまでは行っていないのが実情だ。20代半ばまでに、セリエAのビッグクラブで堂々とレギュラーを張っているくらいでないと、世界レベルで主役として活躍することは難しいのだが……。しかし、かといって世代交代を先送りすれば、数年後の大きな地盤沈下は避けられそうにない。 ちなみにこのクロアチア戦は、内容的にはまあまあ互角だったものの、ディフェンスに綻びが出てミス絡みの失点を喫し、0-2であっけなく敗れることになった。ほとんど全員これが初めての顔合わせだったこと、相手がワールドカップ組を主体とするほぼフルメンバーに近いチームだったことなどを考えれば、この結果そのものは参考にすら値しないものだと言うことは可能だ。だが、この親善試合が、アズーリが将来に向けて抱える大きな問題を浮き彫りにしたことも、また確かなことである。 報道によれば、一時は代表引退をほのめかしたトッティを含めて、ワールドカップ組は全員が、アズーリでのキャリアを続行することを望んでいると伝えられる。優勝の功労者にご退場願ってチームの世代交代を図るのがどれだけ困難かを示す過去の事例は、世界中枚挙にいとまがない。ドナドーニ監督は当面、ワールドカップ組をそのままピッチに送って、ユーロ予選を戦って行くことになるのだろう。アズーリがそのツケを、いつ、どのような形で払うことになるのか、今はまだわからない。 <イタリア代表・クロアチア戦(国際親善試合・8/16)招集メンバー> GK アメリア(リヴォルノ・24)、ローマ(モナコ/仏・32) DF ボネーラ(ミラン・25)、キエッリーニ(ユヴェントス・22)、ファルコーネ(サンプドリア・32 )、パスクアル(フィオレンティーナ・24)、テルリッツィ(サンプドリア・27)、ザウリ(ラツィオ・28)、C.ゼノーニ(サンプドリア・29) MF アンブロジーニ(ミラン・29)、G.デルヴェッキオ(サンプドリア・28)、ゴッビ(フィオレンティーナ・26)、リヴェラーニ(フィオレンティーナ・30)、パロンボ(サンプドリア・25)、セミオーリ(キエーヴォ・26)、モッローネ(リヴォルノ・28) FW カラッチョロ(パレルモ・25)、ディ・ミケーレ(パレルモ・30)、ディ・ナターレ(ウディネーゼ・29)、エスポージト(カリアリ・27)、ルカレッリ(リヴォルノ・31)、ロッキ(ラツィオ・29) ■ (2006年8月16日・23日/初出:『El Golazo』連載「カルチョおもてうら」) Posted at 03:12 午前 日 - 2月 8, 2009カカ、新シーズン(06-07)への意気込みとカルチョの素晴らしさを語る(2006.09)アーカイヴ#106。気がついたらカレンダーは2009年に変わって1ヶ月以上も過ぎていますが、本アーカイヴの更新は終了したわけではありません。まだ残しておくべき原稿はたくさんあるので、引き続きアップしていきます。遅ればせながら、本年もよろしくご愛読のほどをお願いいたします。 「セリエAほど難しくてチャレンジングなリーグは他にないんだ」
チェルシーの金満オーナー、ローマン・アブラモヴィッチは1億ユーロ(約150億円)という巨額の移籍金を提示した。レアル・マドリードの新会長ラモン・カルデロンは、会長選挙の公約にその名前を使い、就任後もあらゆる手を使って獲得しようと試みた。ヨーロッパ中のすべてのビッグクラブが、夢の獲得リストの一番上に彼の名前を記している。しかし彼はそんな誘惑には目もくれずにミランへの忠誠を誓い、第二の故郷とまで呼ぶミラノに腰を据え、セリエAを代表する絶対的な主役としてプラネット・フットボールのど真ん中で輝こうとしている。 リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ。家族は愛情を込めて「リカルド」と、チームメイトは親しみを込めて「リッキー」と、そしてそれ以外の全ての人々は憧れと崇拝のまなざしで「カカ」と、彼のことを呼ぶ。 ――ワールドカップは残念でした。イタリアに戻ってきて、新しいシーズンを迎えるわけですが、意気込みを聞かせて下さい。 「意気込みはいつも変わらないよ。毎日少しずつでも自分を高めて、ピッチに立ったらチームの勝利にできる限り貢献すること。ミランは、常に勝利を目指して戦う偉大なチームだから、今シーズンも、カンピオナートとチャンピオンズリーグで優勝することが目標だし、ぼくにとっても、ミランの一員としてそれを勝ち取ることが一番の目標になる」 ――今シーズンのイタリアサッカーは、ちょっと特殊な状況に置かれています。代表はワールドカップで優勝したけれど、国内ではカルチョスキャンダルがあって、クラブからはスター選手が国外に流出したりしている。今の状況をどう見ていますか? 「僕は、イタリアサッカーは生まれ変わりの時を迎えていると思うんだ。スキャンダルは確かに大きな問題だったけれど、今まで僕たちプレーヤーが知らないところで行われていたことが明るみに出て、過ちを犯した人たちが罰せられるのは悪いことじゃないし、正しいことだからね。この機会に膿を出して出直すことで、セリエAはこれからも偉大なチーム、偉大な選手たちが戦う偉大なリーグであり続けることができる。今シーズンもこれまで通り、素晴らしいカンピオナートになると思うよ」 と、いかにも優等生らしい模範解答を返してくれたカカだが、彼もカルチョスキャンダルの余波と無縁ではなかった。不正行為の“主犯格”としてセリエB降格処分を受けたユヴェントスが、国内外のビッグクラブの草刈り場になる中、ミランもまた、副審の判定に影響力を及ぼそうとしたかどでポイント剥奪処分を受けるなど、そのイメージに大きな傷をつけた。そこにつけこむように、“銀河系”を解体してカペッロ新監督の現実路線に方向転換し再建を目指すレアル・マドリードが、カカ獲得に動き出したからだ。 とはいっても、そのやり方は、世界一といっていい輝かしい歴史と伝統を誇る名門にふさわしいものではなかった。『マルカ』紙、『AS』紙をはじめとする地元スペインのマスコミに、いかにも本人が移籍に乗り気であるかのような情報を流して揺さぶりをかけたのだ。当然ながら「カカ、レアル移籍濃厚」というスペインでの報道は、イタリアでも大きなニュースになった。 だが、カカ本人はこうした周囲の騒音にもまったく動じなかった。「僕も、僕の家族もミラノでの生活にすごく満足しているし、だからミランとの契約も2011年まで更新したんだ。レアルが僕を欲しがってくれるのは嬉しいけれど、もし僕がレアルとの契約にサインすることがあるとすれば、それはミランがそれを望んだ時だけだよ。誤解してほしくないのは、僕は何らかの決断を促そうとしているわけではまったくないということ。それは、レアルが偉大なクラブだというのと同じくらい明白なことだよ」。これは7月半ば、『AS』紙に掲載されたインタビューでのコメントだ。もちろんその気持ちは今もまったく変わっていない。 ――夏の間は移籍の噂も流れましたが。 「あれは単なる根も葉もない噂だよ。僕はミラノから動くつもりはまったくないんだから。6月に契約を延長したばかりだし、ミランにも、ミラノという都市にもとても愛着があるからね」 ――ミランへの愛着はよくわかります。以前から、このクラブの歴史に名前を残したい、って言っていますよね。でも、ミランも含めて、イタリアのサッカーは、あなたが生まれ育ったブラジルのサッカーとはかなり違う、戦術重視でどっちかというと退屈なサッカーですよね。ワールドカップでセレソンにどっぷりつかって、ああいう楽しいサッカーが懐かしくなりませんでしたか。 「セレソンでは、真面目に練習している時ですら、フェスタみたいに陽気な雰囲気があるし、確かに居心地はすごくいいよ。今回のワールドカップみたいに結果が出ないと、それをあれこれあげつらって叩こうとする人たちが出てくるけど、2002年の時にはそれで優勝したわけだしね」 ――でもイタリアのサッカーにはまた別の魅力や良さがあると。 「もちろんそうさ。イタリアのサッカーは、ブラジルのそれと比べるとずっとシリアスで緻密だよね。こんなに難しいサッカーは他にはないんだ。イタリアのディフェンスは、下位のチームでもすごくよく組織されているし、そう簡単にシュートを打たせてくれない。それを打ち破るためには、技術も戦術もフィジカルも判断力も、すべてを磨いて高めていかなければならないよね。そういう困難にチャレンジして、それを乗り越えるのが僕は好きなんだ。ブラジルサッカーとイタリアサッカーは、確かに考え方もスタイルも違うけど、それぞれにいいところがあるし、僕にとってはどっちも素晴らしいサッカーなんだ」 ミランでデビューした当時から、カカは「ヨーロッパのメンタリティとブラジルのテクニックを両立させたプレーヤー」と評されてきた。“フッチボル・アレグレ”(陽気なサッカー)と呼ばれるブラジルサッカーと、戦術主義的で規律重視のイタリアサッカーの間を、冷静なバランス感覚で自在に行き来しながら、より高い次元でそれを統合しようと目指す。そのプレースタイルには、ますます磨きがかかってきた。 昨シーズン、ドリブルで敵を3人抜いてGKと1対1になった後、トッティばりのループシュートを試みて失敗、みごとGKの腕の中にボールを送り届けてゴールをふいにし、アンチェロッティ監督からこっぴどく叱責されたことがある。「目の前の敵を抜くのはいい。でもゴールが見えたらできる限りシンプルに、確実にプレーしろ」。そう釘を刺されたカカは、しかし試合後、毅然としてこう反論したものだった。「ファンタジアやスペクタクルがなかったらサッカーじゃない。僕たちブラジル人はそういうカルチャーの下で育ったし、そういう血が流れているんです。あれが決まっていたらとっても素晴らしいゴールでしたよ。僕はこれからもチャンスがあれば、そういう美しいゴールにチャレンジし続けるつもりです」。あの顔で、見かけよりもずっと気が強くて頑固者なのだ。 ――ミラノへの愛着についても少し聞かせて下さい。 「うん。僕はこの町に惚れ込んでいるんだ。僕が育ったサンパウロと比べると小さいけれど、感じはよく似ているしね。映画とか劇場とか文化的にもとても豊かで、その点ではミラノの方がずっと上。それに、美味しいレストランもたくさんある。そしてビジネスの町でもある。僕にはすごくぴったり来る町なんだよね」 ――どこかで、あなたがミラノの運河について勉強しているという話を読んだんですが、本当ですか? 「(笑)。あれは、ミラノの歴史に興味があってちょっと調べていた時に、記者の人にその話をしたら、話が広まっちゃって。昔のミラノでは運河は重要な交通手段のひとつだったって聞いたから、それについてちょっと質問しただけなんだけどね。自分が住んでる町の歴史には興味があるから、いろいろ調べたり読んだりしてるんだ」 ――いつもそうやって何か勉強しているわけですか。 「そう。いつもね。勉強するのが好きなんだ。いろんなことを学ぶのは楽しいことだから」 こういう話をする時の表情は、サッカー選手というよりも、学業優秀な大学生みたいなそれである。この日は違ったが、コンタクトレンズを外して眼鏡をかけていたりすると、本当に真面目なガリ勉野郎のように見える。 ――もしサッカー選手になってなかったら、どんな仕事をしていたと思いますか。 「エンジニアになりたかったんだ。お父さんがそうだったから。子供の頃は、お父さんを見て憧れるものでしょ」 ――そうですね。でもあなたはその若さで世界でも指折りのフットボーラーになって、今では世界中の人たちのアイドルです。今日ミラネッロに入ってくる時も、入り待ちのファンの熱狂はすごかった。こういう現実とどのようにつきあっているのでしょう。 「僕は自分の価値観を持っているし、それに対していつも忠実でありたいと思っているんだ。家族や愛情、神や信仰、そういう自分を支えてくれる価値を、正直に信じ続けることが大事だと思うんだ。自分が大きな成功を収めていること、社会的な存在としての自分がどんなものかは、よくわかっているつもりだよ。サッカー選手として成功したことは、神が与えてくれた能力の賜物だと思うけど、それとは関係なく、僕はごく普通の若者だっていうことを、人々に伝えたいし、それをわかってもらいたいと思ってるよ」 ――あなたは今でも、11歳の時にサンパウロのジュニアチームの一員として日本に行った時に、賞金としてもらった5000円札を大事にとってあるそうですが、本当ですか? 「本当だよ。大事な思い出だからね。日本での試合でいくつかゴールを決めて、そのご褒美にもらったんだ。サッカーで初めてもらったお金だったから嬉しくて」 ――実は、あなたにその5000円を渡した人はぼくの知り合いだったということを、たまたま最近知ったんですよ。宮城県の鳴子というところで開催した大会で、あなたのプレーがあんまり特別だったから、最優秀選手賞なんてなかったんだけど、どうしても何かをあげたいと思って、それで財布をさがしたらたまたま5000円札が1枚入っていたんだそうです。これを渡すと手持ちのお金が全然なくなっちゃうけど、でもいいや、と思って奮発したそうですよ。 「よくわからないけど、今のお金で100ユーロくらいの価値なのかな。もちろん金額なんてどうでもいいんだ。僕にとってと同じように、その人にとっても特別なものだった。大事なのはその思い出だからね。これからも一生ずっと、大事に持っているつもりだよ」 そんなピュアな好青年も、一旦ピッチに立つと印象を一変させる。185cm、78kgという均整のとれた肉体からはデビュー当時の線の細さが消え、トップアスリートだけが持つ風格が漂うようになった。 ワールドカップ後、束の間のヴァカンスを経て迎えた今シーズン。ミランの一員として、8月に行われたチャンピオンズリーグ予備予選突破に貢献したカカは、セリエA開幕を前にした9月3日、今度はセレソンの一員としてロンドンで行われたブラジル対アルゼンチンの親善試合に出場、世界中を虜にするようなゴールを決めてみせた。 アルゼンチン陣内半ばで、メッシがトラップミスしたボールを奪うと、ドリブルでスタートを切り、一気に加速してハーフウェイラインを越える。慌てたメッシが必死で背後から追いすがるが、カカとの差は縮まるどころかむしろ開いていくばかりだ。スピードに関しては折り紙付きのメッシですら追いつけない強烈な加速でそのまま敵陣深くまで70mを走り切り、DFふたりとGKをフェイントすら使わずに軽々かわすと、対角線に緩やかなシュートを流し込んだ。パワー、スピード、持久力、テクニック、大胆さと冷静さ、カカの持つすべての資質が凝縮されたようなスーパーゴールだった。 そして今、ヨーロッパのしんがりを切って開幕したセリエAでも、絶対的な主役としての活躍が期待されている。 ――今シーズンのカンピオナートはどうなるでしょう? 「今年も困難な戦いになると思うよ。セリエAほど難しいリーグは他にないからね。どのチームも強い。他の国のリーグみたいに、2つか3つのチームだけが突出しているわけじゃないからね。確かにユーヴェはセリエBに降格したけど、それ以外のチームはこれまでと変わらないし、むしろ強くなっている。インテル、ローマ、フィオレンティーナ、ラツィオ……。いくつかのチームは勝ち点を削られてるけど、むしろそのせいで必死になるだろうね。でも、これまでもそうだったように、僕たちが常にベストのパフォーマンスを見せれば、どんなチームとも互角以上に戦えるはずさ。-8ポイントというペナルティのことは忘れて、ひとつひとつの試合を全力で戦って行けば、勝利はみえてくると信じているよ」■ (2006年9月5日/初出:『STARsoccer』) Posted at 11:48 午前 土 - 12月 13, 2008イタリア・クラブ探訪10:フロレンティア・ヴィオラ(2002.09)アーカイヴ#105。2000年から2003年にかけて某WSD誌に連載していた『イタリア・クラブ探訪』。今回は2002年9月に取材したフロレンティア・ヴィオラの回をお送りします。もしかすると、そんなクラブは聞いたことがない、という方もいるかもしれません。実際、当時このクラブは発足したばかりで、セリエC2(4部)で戦っていました。でも今はセリエA。その種明かしは本文でどうぞ。 ACフィオレンティーナは、スクデット2回、コッパ・イタリア6回、欧州カップウィナーズ・カップ1回の優勝歴を誇り、1926年の創立以来わずか2シーズンを除いて常にセリエAの舞台で戦い続けてきた、イタリア有数の名門クラブだった。
「だった」と過去形で書かなければならないのは、昨シーズンのセリエAで最下位同然の17位に終わりB降格を喫したこのクラブが、2002年8月1日をもって破産・消滅し、76年にわたる輝かしい歴史に突然の終止符を打ってしまったからだ。理由は、オーナー会長だったヴィットリオ・チェッキ・ゴーリが経営する企業グループの財政破綻。プロクラブとして存続するための基準すら満たせない巨額の負債を抱え、セリエBへの登録保証金も捻出できなくなっていた。つい2シーズン前には「ビッグ7」の一角を占めてスクデットを争い、チャンピオンズ・リーグを戦っていたことを考えれば、にわかには信じられない結末だった。 その破産劇から1ヶ月半が過ぎた9月15日、ACフィオレンティーナのホームだったフィレンツェのスタディオ・アルテミオ・フランキでは、昨シーズンまでのセリエAとは打って変わって、セリエC2(4部)の試合が開催されていた。一応プロのはしくれとはいえ、1試合平均の観客数は2000人にも満たないというマイナーなリーグである。 カードは、フロレンティア・ヴィオラ対カステル・ディ・サングロ。名前を聞いたこともないチーム同士の対戦だけに、観客席はガラガラ…と思いきや、スタジアムには2万5000人を超える観衆が詰めかけていた。それどころか、それぞれフィエーゾレ、フェロヴィエと呼ばれるふたつのゴール裏は、昨シーズンまでと同様、フィオレンティーナのウルトラスで満員である。 フィオレンティーナ?そう、この「フロレンティア・ヴィオラ」こそ、ACフィオレンティーナに替わって、都市フィレンツェを代表するプロサッカークラブとして新たに設立され、プロ最下層のセリエC2から再スタートを切ったばかりのチームなのである。 法的に見れば、旧ACフィオレンティーナとは何のつながりもない全く別の組織であり、そもそも「フィオレンティーナ」という名前ですらないのだが、フィレンツェの人々はもちろん、マスコミまでもが、このチームを「フロレンティア」ではなく「フィオレンティーナ」と呼び続けている。どうやらフィレンツェの人々は、このチームを1926年から続く長い歴史と伝統をそのまま受け継ぐ正当な存在、要するに「フィオレンティーナ」以外の何者でもないと考えているようなのである。 旧ACフィオレンティーナの倒産からこのホームでのデビュー戦まで、わずか40日あまりの間に何がフィレンツェで起こったのか。そしてフロレンティア・ヴィオラ、いや新生フィオレンティーナは、これからどこに向かおうとしているのか。それを明らかにするため、フィレンツェに足を運んだ。 中部イタリアの美しい丘陵地帯に位置するヨーロッパ有数の芸術都市・フィレンツェの起源は古代ローマ時代、紀元前3世紀にまで遡る。当時この地に開かれ、現在まで栄える“花の都”の元になった都市の名こそが「フロレンティア」だった。その千数百年後、中世にはイタリア有数の自治都市として発展し、14-15世紀になってルネッサンスの中心地として栄華を極めたことは、どんな歴史の教科書にも書かれているとおりである。 まさにその当時、つまり今から500年以上前に建設された荘厳なフィレンツェ市庁舎“パラッツォ・ヴェッキオ”の2階に、フィレンツェ市のスポーツ行政責任者にしてフロレンティア・ヴィオラ誕生の立役者のひとり、エウジェニオ・ジャーニ評議員を訪ねた。 ACフィオレンティーナの破産・消滅が濃厚になった7月31日、フィレンツェ市はイタリアサッカー協会のカッラーロ会長に、もしそうなった場合、都市を代表するチームをセリエC(3~4部リーグ)に登録できるよう求める嘆願書を送っている。ジャーニは、その理由を次のように語る。 「サッカー協会の規定では、クラブが破産・消滅した場合、その後を受けたチームはアマチュアリーグ(5部または6部)から再出発しなければならないことになっています。しかし、フィレンツェが都市を代表するプロチームを持たないという事態は、この都市とフィオレンティーナがカルチョの歴史に残してきた足跡とその重要性を考えると、何としても避けなければなりませんでした」 この嘆願書は翌日開かれたサッカー協会の幹部会で検討され、「チームが設立されればセリエC登録を受け入れることを特例として認める」という結論に至る。最悪の事態だけは避けることができたわけだが、問題は、まだその受け皿となる会社さえ存在していないことだった。 「とにかく一刻も早く会社を設立する必要がありました。フィレンツェ市の代表として赴いていたローマのサッカー協会本部で、私がその結論を聞いたのが8月1日の午後1時半。すぐにレオナルド・ドメニチ市長に連絡を取って、午後4時半にここフィレンツェ市庁舎に公証人を呼び、新しいチームの母体となる会社を立ち上げたのです。私と市長のふたりが出資者となって、設立に必要な最小限の資本金を提供しました」 市長とスポーツ行政責任者、重要な公職にあるふたりが自らの個人的な資金を投じて設立した新会社の名称は“フィオレンティーナ1926フロレンティア”。破産・消滅したACフィオレンティーナの歴史と伝統を守り、フィレンツェ市民を代表してこれを引き継ぐという意志を強く打ち出した命名だった。 母体となる会社が設立されたとはいえ、もちろん単なる私企業であるプロサッカークラブの運営に市の公的資金を投入するわけにはいかない。2人の設立者はすぐにマスコミを通じて、この会社を買い取って新しいクラブのオーナーとなってくれるパトロンを募集すると表明した。もちろん、少しでも早くこのクラブを「都市・フィレンツェにふさわしい、そしてサポーターの情熱に見合ったレベル」、すなわちセリエAに連れ戻すための意志と資金力を持っていることが条件である。 それからわずか2日後の8月3日、電光石火といっていい展開で決まった新オーナーは、世界中のセレブリティご用達の高級靴・革製品ブランド「JPトッズ」(年商約3億2000万ユーロ=380億円)を経営する実業家、ディエゴ・デッラ・ヴァッレだった。カルチョの世界では例外といっていい高級ファッションブランドの経営者をオーナーに選んだ理由を、ジャーニはこう説明する。 「彼は、ここトスカーナ州と深いつながりを持つお隣りマルケ州の出身であり、また事業を展開しているのもフィレンツェと非常に縁の深いファッション分野です。彼との間にはある種の紳士協定が成立しました。彼は彼のビジネスに、フィレンツェという都市のプレステージ、世界で通用するイメージを利用することができる。フィレンツェはそのかわり、彼の資金力と経営力の提供を受けて、都市を代表するサッカーチームを持ち続けることができる。利害がはっきりと一致しているだけに、この結婚は非常に幸せな結婚だといえるでしょう」 デッラ・ヴァッレ以外で最も有力だった候補は、今年セリエAに昇格したコモのオーナーであり、イタリア最大手の玩具製造・販売会社「ジョキ・プレツィオージ」を経営するエンリコ・プレツィオージだった。しかし、複数のクラブを持つということになると、何年かするうちにカテゴリーが重なって双方の利害が対立する可能性もある。資金力ではむしろ上回るプレツィオージが選ばれなかったのは、それがフィレンツェにとって望ましくないという判断があったからだという。 またジャーニによれば、地元フィレンツェからの立候補はまったくなかったともいう。フィレンツェの基幹産業は商業、そしてファッション関連をはじめとする中小規模の手工業であり、ここまで大きくなったプロサッカーというビジネスを支えられる規模の大企業は、残念ながら存在しないのだ。 ここでひとつ付け加えれば、当初の“フィオレンティーナ1926フロレンティア”という名称は、デッラ・ヴァッレへの経営権の譲渡と時を同じくして、“フロレンティア・ヴィオラ”に変更することを余儀なくされている。これは、破産した旧ACフィオレンティーナの債権者との間に、名称の使用権をめぐる係争が起こるのを避けるため。したがって、名称使用権の問題さえ解決すれば、このクラブは改めて堂々と“フィオレンティーナ”を名乗ることになるはずである。 さて、こうして「フロレンティア」のオーナーとなったデッラ・ヴァッレは、しかし自ら会長に就任することはせず、クラブ経営に専念する執行権を持った会長として、「JPトッズ」の有能な幹部を送り込んできた。 その新会長、ジーノ・サリカにインタビューしたのは、ホームスタジアムであるアルテミオ・フランキのメインスタンド下、クラブが仮の事務所として使用している、決して広いとはいえない一室だった。明晰でインテリジェンスあふれる話しぶりは、その語彙も含めて、カルチョの世界というよりはビジネス世界の住人のそれである。 「このクラブが掲げる最大の目標は、1年でも早くこのチームをフィレンツェにふわさしいレベル、つまりセリエAまで引き上げることです。しかし、C2(4部)からスタートすると、毎年昇格を繰り返したとしてもまる3年間はかかるわけですから、まずは1年づつステップ・バイ・ステップでチームを強化していくこと、そのシーズンを勝てるチームを作っていくことの積み重ねです。 ただ、それと同時に、クラブとしてのポジティブなイメージ、フィレンツェという都市にふさわしいイメージを築くことも、非常に重要だと考えています。ですから、フェアプレー、スポーツマンシップは非常に重要だと考えています。勝つためならあらゆる手段に訴えることも辞さないという論理は、我々は受け入れません。相手よりもいいサッカーをして勝つことを大切にしたいのです。これが、私たちの重んじる価値観であり、このフロレンティアのポリシーです」 そうである以上、いかにセリエAへの早期昇格を目指すチームとはいえ、金に飽かせて上のレベルの選手ばかりを買い集め、セリエCのメルカートに混乱を起こすようなことはあってはならない。事実、今シーズンのフロレンティアの年間予算は650万ユーロ(約7.5億円)と、セリエC2ではトップレベルだが破格とはいえない、まずまず妥当な規模に押さえられている。ちなみに、そのうち約70%を占めているのは選手やスタッフの人件費である。 一方、収入の見込みは500万ユーロ(約5.9億円)前後。初年度は150万ユーロ(約1.8億円)の赤字になるわけだが、「新会社の一年目であることを考えれば、この程度の赤字は、先行投資として許容範囲に収まる数字でしょう」とサリカ会長は語る。最初の数年間は、すぐに上に行かなければならないこともあって、ある程度の投資は避けられないということだろう。 「これだけのサポーターを抱えたチームは、C2にはもちろんC1にも存在しません。イタリア全体を見ても、ユーヴェ、ミラノの2チーム、ローマの2チーム、ナポリに次ぐサポーター数を誇っているわけだし、今年の年間予約チケットもすでに1万5000枚を超えています。できるだけ早くBに上がるのは、フィレンツェに対する義務と言わなければならないでしょう。そのためにも、今年はまずこのC2で優勝し、次のステップに進んでほしい。もちろん、それにふさわしい試合内容を伴ってです」 ちなみに、プロ4部リーグにあたるセリエC2は、それぞれ18チームづつからなる、A(北部)、B(中部)、C(南部)の3グループに分かれており、計54チームから構成されている。フロレンティアが所属するのはグループB。セリエC1(3部リーグ・こちらは2グループ構成)に昇格するためには、グループで1位になるか、2~5位のチームで争われるプレーオフを勝ち抜くかしなければならない。プレーオフは一発勝負の水モノゆえ、確実に昇格を果たすためには、優勝を飾る以外の手段はないのである。 優勝を義務づけられたチーム作りは、どんなカテゴリーにおいても簡単な仕事ではない。オーナーのデッラ・ヴァッレからこの大きな宿題を与えられたのは、チーム部門の全権を持つテクニカル・ディレクター(TD)に就任し、サリカ会長の片腕となったジョヴァンニ・ガッリだった。フィオレンティーナのユースセクションで育ち、19歳から9シーズンにわたってヴィオラのゴールを守った後、ミラン、ナポリでも活躍、イタリア代表でも30試合に出場した、80年代イタリアを代表する名GKである。 ガッリがTDに就任したのは8月8日。しかしこの時フロレンティアはまだ、監督はもちろん選手のひとりすら所有していない、ペーパーカンパニー同様の会社でしかなかった。だが、チーム登録の期限までに残された時間はわずか10日あまり。8月19日には、コッパ・イタリアの初戦がすでに迫っていた。プロリーグに登録できるチームの体裁を整えることすら困難なこの条件下で「C2で勝てるチーム」を作り上げなければならなかったのだから、その苦労は想像するにあまりある。 まず決めなければならないのは監督だった。ガッリは当初、セリエBを戦う旧フィオレンティーナで指揮を執るはずだったエウジェニオ・ファシェッティ、そして昨シーズンにBでナポリを率いたルイジ・デ・カーニオにアプローチしたが、合意には至らなかった。その後に残ったのが、ベテランのレンツォ・ウリヴィエーリ(昨シーズンはパルマを指揮)か、若手のピエトロ・ヴィエルコウッド(2年前に40歳で現役を引退し、監督としてのキャリアを始めたばかり)か、という選択だった。 「最終的に私たちが選んだのは、ゼロからの再出発なのだから、それにふさわしいフレッシュな監督を選ぶ、という方向でした。ピエトロは、非常に真面目で真摯な人間であるだけでなく、監督としても非常に研究熱心で能力が高く、強い成功への意欲を持っています。それに私たちはフィオレンティーナで一緒にプレーした経験があり、個人的にもどんな人物かよく知っていました。確かに、監督としての経験は浅いですが、それはマイナスではありません。私たちはみんな、先入観や固定観念に囚われず、新しいフィオレンティーナを創っていかなければならないからです」 スタジアム内のオフィスでこう説明してくれたガッリの口調は、冷静沈着で鳴らした現役時代のプレースタイルを思わせる落ち着いたものだった。 ヴィエルコウッドの就任が決まったのが8月12日。もはやチームづくりには1週間の猶予しか残されていなかった。「とにかく大変な量の仕事をこなさなければなりませんでした。毎日、片時も電話を手から放さず、選手やクラブに連絡を取り、獲得交渉を続けましたよ」とガッリは笑って振り返る。 「チーム作りのコンセプトははっきりしていました。まさにC2で勝てるチームを作るということです。これは簡単ではありません。C2というのは、技術レベルが低い分、よりフィジカルの強さと運動量が求められるカテゴリーです。したがって、それに合ったキャラクターを持った選手が必要なのです。しかし、それではライバルに差をつけられない。ですから、C2を戦うために必要なフィジカル能力に加えて、上のカテゴリーでも通用するテクニックや経験を持っている選手を、チームの核として何人か獲得することが不可欠でした」 そうして集められたのが、クラウディオ・ボノーミ(MF・元トリノ、サンプドリア)、ラファエレ・ロンゴ(MF・元パルマ、ナポリ)、ロベルト・リーパ(DF・元ペルージャ、バーリ)、アンドレア・イヴァン(GK・元サレルニターナ)といった、セリエAでのプレー経験をもつ強者たちである。 「ぜひ言っておきたいのは、私が声をかけた選手全員が、最初に連絡して『フィオレンティーナに来る気はないか?』と訪ねた時点ですぐに、上のリーグでプレーしているにもかかわらず、『SI'』(イエス)と返事してくれたということです」 その大きな理由のひとつは、昨シーズン、ACフィオレンティーナのキャプテンとして不屈の戦いを見せた大ベテラン、アンジェロ・ディ・リーヴィオが、いち早くフロレンティアへの参加を表明していたことだろう。ガッリは語る。 「ディ・リーヴィオにとってこの選択は、プロフェッショナルとしてというよりも、ひとりの人間としての人生の選択だったのだと思います。彼はフィレンツェに家を買うほど、この町に愛着を感じていましたし、それは彼の家族も同じでした。それに、フィレンツェにこれだけ愛着を持ち、フィオレンティーナを再びセリエAに連れ戻すという仕事にキャリアの最後を捧げるという選択は、引退後の人生を考えても、経済的なものを超えた大きな満足を彼にもたらすはずです。彼には、そしてボノーミ、イヴァン、ロンゴといった、上のカテゴリーのプレーヤーたちには、ピッチの上でだけでなくロッカールーム、つまりグループの中でも重要で決定的な役割、つまりリーダーとして勝利のメンタリティをチームに植え付けてくれることを期待しています」 こうして、苦労の末に短い時間で作り上げられた、しかしセリエC2の中ではトップレベルの戦力を揃えた「フロレンティア・ヴィオラ」は、やっと9月のシーズン開幕を迎えることになった。アウェーで戦った初戦は、同じトスカーナ州の田舎町サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのチーム、サンジョヴァンネーゼ相手に引き分け。そして迎えたのが、冒頭で取り上げた9月15日のホームでのデビュー戦だった。 あえて上から下まで白で統一したユニフォームには、しかしこのクラブの隠れたアイデンティティを示すように紫の縁取りが入っている。その左胸には、1293年に市民による自治を確立して以来700年以上にわたるフィレンツェの市章である赤い百合の紋章。ACフィオレンティーナ時代は、市章を元にデザインされた独自の図案だったが、現在はクラブと都市のより深い結びつきを示唆するかのように、市の紋章そのものが使われている。 胸のメインスポンサーは、地元フィレンツェの保険会社「ラ・フォンディアリア」。「もっといいオファーもありましたが、フィレンツェとの結びつきを第一に考え、地元の企業を選びました」とサリカ会長は語る。 実はこのユニフォームは、間に合わせの仮バージョンである。とはいえ、この試合のつい数日前にテクニカル・スポンサーに決まったプーマ製の正式バージョンも、デザインは原則として現在のものが踏襲されるようだ。「フィオレンティーナ」の名前とともに「ヴィオラ(紫)」のユニフォームが戻ってくるのは、まだもう少し先のことのようである。 さて、肝心の試合の方は、前半1点を先制したフロレンティアが、後半開始早々に一度は追いつかれたものの、最終的には5-1という圧倒的な大差で勝利を飾り、見事にシーズン初勝利をものにした。フィレンツェの人々にとっては、昨年の12月16日にフィオレンティーナが1-0でブレシアを下して以来、9ヶ月ぶりにフランキで祝う勝利だった。 ジョヴァンニ・ガッリはこう語る。 「これをスタートに、1年でも早くセリエAの舞台をフィレンツェに取り戻したい。C2、C1、B、最低でも3年はかかりますし、上に行けば行くほど、戦いは厳しいものになっていくでしょう。1度や2度、躓くこともあると思います。しかし、長くとも5年以内にはセリエAに返り咲きたい」。 フィレンツェとフロレンティア、いや新生フィオレンティーナの長い戦いは、今やっと始まったばかりである。■ (2002年9月12日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』) Posted at 02:36 午前 |
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在イタリアのジャーナリスト・翻訳家、片野道郎のアーカイヴです。雑誌をはじめとする各種メディアに寄稿したイタリアサッカーを巡るテキストを、然るべき時間を置いた後に順次公開していきます。ご意見、ご感想は、webmasterアットマークtifosissimo.8m.comまで。
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Published On: 5月 31, 2010 11:18 午後 |
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